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31 March 海辺の街のお話(第4回) ヒカリは、おそらくどの学校にも、あるいはどのクラスにも必ず一人はいる、快活で物おじをしないさっぱりとした性格の女の子だった。誰とでもすぐに仲よくなれる。僕のように、どちらかというと人みしりの激しい人間でも、思わず心のドアを開けてしまうような、軽やかなノックとステップで、心の中に入り込んできてしまうタイプの子だ。だから僕にとって、ヒカリは僕の数少ない友人の一人となったが、それは文字通りの「友人」であって、そこには男と女の間の、あの蒸れるような湿っぽい感情の入り込む隙間は全然なかった。僕たちは純粋に仲のよい友人だった。たとえ僕たちの間にはちょっとした年齢差はあったにしても。
「で、ヒカリ。今日は何か話があるって、言ってなかったっけ?」
夕方、予備校の受付カウンターの横で出勤カードをカウンターに差し込んでいるときに、少し遅れて出勤してきたヒカリに、ね、先輩、今晩授業がはねてから時間ある?といつもより真面目な(もちろんヒカリはいつだって基本的にはまじめな子だったけど)顔で聞いてきた。ふだんのヒカリなら、授業が終えた後の気分やらそのときの雰囲気やらで、行く、行かないを決めることが多かった。だからそれはヒカリにしてはとても珍しい行動だった。僕たちは、予備校の入っているビルの1Fフロアーで9時半に待ち合わせることにして、それぞれの教室に別れた。
授業中に窓ガラスにポツポツと当たりはじめた雨は、待ち合わせの時間になると、けっこう本格的な降りになっていた。二人とも傘をもっていなかったので、やむをえず鞄を傘代わりにして、予備校からさほど遠くない駅前のこの店に小走りで駆け込んできたのだった。
「んー、もう、そんなにセカかないでよ、先輩。何か食べて、ちょっとぐらいおなかが落ち着いてからじゃないと、話しにくいことだってあるんだから」
僕は思わず肩をすくめた、それは確かにそうだ。僕たちには時間だけは十分にある。せっかちにことを進める必要性はどこにもなかった。
ヒカリは、僕からメニューをひったくると、思いつくままに、2、3品の料理名を店主に告げた。僕は空になったヒカリのグラスに2杯めのビールを用心深く注いだ。今度はほどよい厚みの白い泡が立った。ヒカリは急に気がついたように、あ、ごめん、と言って僕の手からビール瓶を奪うと、やはり同じようにそっと僕のグラスにビールを注いだ。泡の厚みまで同じだった。ヒカリは僕の顔を見て、へへっと少年のような笑顔を見せた。
僕たちは、カウンターの前に運ばれてきた「グリンピースと海老のチリソース炒め」と「大蒜の芽と牛肉の炒め物」に箸を伸ばしながら、何杯かのビールを飲み干した。注文したビンが全部空になる頃、ヒカリは不意に小さな声で、あのね、先輩…と言った。
(つづく)
[はじめて読んでくださる方に]
このお話はフィクションです。実際の人物・団体とは何の関係ありません(笑)。 書き過ぎ症候群(Overwriting Syndrome)今日は何となくスケジュールが入ったり出たり、すったもんだしてる間に1日が終わってしまいそうです。
夕方からは、どのみちけっこうにぎやかになるはずだったのだけど、ドタキャン(土壇場でのキャンセル)連発で、
気がついたら晩ご飯はひとりの食卓になってしまった…あれれ?
(ドタキャンの余波を受けた皆さん、ほんとにごめんなさい!><)
夜は、卒論の中間チェック。4月上旬に初校を完成させてもらうために、まずは現時点で書きあがった部分だけでも、と
原稿をメールで送ってもらって添削。短い作文ならまだしも、1万字を要求される「論文」だから論理展開も大切だし、
ひとつひとつの表現もより効果的に、と考えると、1語1語、1行1行、1文1文まで気になって、脳のいつもは使わない部分が
次第にジーンとしびれたように疲れてくる。毎年この時期の持病みたいなものだから心配いらないけど。
それでも、卒論は学生時代の総決算(昨日も確かそう書いた…)。みなさんには本当によい論文を書いてもらいたいので、
僕も気を抜かずに読ませてもらいます…フフフ…(この不敵な笑みの意味するところは…まだまだ内緒)。
さて昨日から、ちょっと長めの文章をいくつか書き連ねてしまったので、実は今夜は筆休めしようかな、と思いつつも、
気がつけばこうしてぱたぱたとキーボードを叩いてしまってる自分…これって一種のビョーキなのかも、と最近思わないでもない。
よくマラソン愛好者に「ランナーズ・ハイ」という症状があると聞きますが、僕の場合はさしずめ「ライティング・ハイ」…?
書かずにはいられない、我慢して書かないでいると禁断症状が出て…「お、お願いしますっ。い、1行でいいですから、何か、なにか書かせてっ。
せめて一文字、お止くださるな、武士の情けでござるっ!」…『物書き中毒 地獄の味噌蔵』というテロップが思わず脳裏を走り、
自分では「はは、まさかね」と軽く一笑に付したつもりが、すぐに背中がすっと寒くなったりする…これってやっぱりかなりヤバい状態なのかな?
本日の教訓:皆さんもブログの書き過ぎには注意しましょう!
あ、さて前置きが長くなりましたが…って(笑)うそうそ。
それこそ「書き過ぎ症候群(Overwriting Syndrome)」 。
今日はこれにておやすみなさい、です。
じゃあまた明日。
ところで、この前書くはずだった「ラブレターはいつ書かれるべきか」のお話(すでに題名が変わっている 笑)…
いつになったら書けるんでしょうね。もう自分でもわかりません。その日その日の風まかせ、ということで、あしからず。 30 March Yさんへの返事 就活問題再論+α就活問題に関する僕の直前のブログ日記に、Yさんから貴重なコメントをいただきました。
彼女にはコメント欄で返事を差し上げたのですが、念のためここにも再録しておきたいと思います。
昨日と同じく、堅苦しい内容ですので、興味のない方は、読み飛ばしてください><
親愛なるYさんへ:
貴重なコメント、ありがとうございました。実は今その返事を書き上げたばかりなのですが、うっかり操作ミスで全部消えてしまいました><。あらためて書き直してみますが、二度と同じ文章が書けない僕なので再現は難しいかも…。
さて、今の4年生が置かれている状況は本当に厳しいものであることも、ご両親のご苦労も、僕なりによくわかっているつもりです。その意味で、現在の大学制度の改革が必要だというYさんの意見に僕も賛成です。
しかし、大学就学期間を短縮すればそれで済む、という問題ではない、と僕は思います。4年間の大学生活のうちの4か月(12月から翌年4月まで。その間には春節休みも含まれますが)は決して短い期間ではありません。それも最終学年の大切な時期ですから。その期間を就職活動(以下「就活」)だけに充てなければならない、学校を離れなければならないという状況は、やはり不自然です。大学側が学生の就活のためにできる限りの支援をすることはもちろん必要ですが(そのために単位を認められる「実習」という枠を設けている大学も多いですね)、同時に雇用・採用する側にも大学側の取り組みに即した一定のルールづくりが必要だと思います。国家教育部、大学、企業の三者がきちんと連携して、4年生の就活がスムーズに行えるような仕組みをつくっていかなければなりません。高等教育の「調和的(和谐)」発展は、その取り組みなしには実現できないからです。Yさんのおっしゃるように、仕事を求めて大都市へ詰めかける学生の姿は「民工潮」ならぬ「学工潮」そのもので、その改善は急務です。
では、大学側にはどのような取り組みが必要か。一つには、コース・デザイン、カリキュラム編成の柔軟化でしょう。4年次に就活に多くの時間を当てたい学生は、3年次により多くの専門科目の履修ができるようにする、などの改革がそれです。3年次に、ほぼ卒業に必要な単位を修得できれば、4年次には卒業論文の作成を除けば、就活にエネルギーを割くことが可能になります。そのためには教員スタッフの充実も不可欠ですね。これは一つの大学レベルでできる話ではなく、国家教育部のリーダーシップがどうしても必要ですが。
次に、卒業論文は、学生生活の総決算として、また最高学府の卒業生として、やはりきちんと書いてもらいたいと思います。まともな卒論も書けない、書かせられない、では最高学府の名が泣きます。僕は、論文の剽窃、インターネット情報のペーストは(僕の分かりうる範囲で、ではありますが。もっとも実際に剽窃した部分があればたいてい一目瞭然です)一切認めません。それを見過ごす大学人は、結果として大学の名を汚すことになるということを肝に銘じるべきだと思っています。第一、人のものを盗んで資格を得る、ということが、世の常識としてまかり通る国に、僕はなってほしくはありません。
我也爱中华! こうした状況を生み出している背景には、次のようなことも考えられます。中国は改革開放以来目覚ましい勢いで経済発展をしていますが、大学も「高等教育改革」によって、とりわけ2000年以降学生数が急増しています(たとえば1999年から2005年までの6年間で中国の大学生総数は4倍に膨れ上がっています。国家教育部統計年鑑参照)。そのため学生(卒業生)数の増加に、雇用の受け皿が追い付かない(今の経済発展をもってしても、です)というのが現状でしょう。Yさんは、大学進学率が低い、とおっしゃいますが、事実は異なります。確かに長い高等教育発展の歴史を有する先進国にくらべればやや数字は見劣りするものの、すでに中国は高等教育の大衆化段階に突入しており、しかもそれは国家の計画よりも早いスピードで進展しています。もはや、少数の知的エリートたちの「象牙の塔」ではないのです、大学というところは。 もちろん、これには別の問題点もあります。進学率急増の要因のひとつは、民間学校(外資や国内資本参入による「独立学院」が主)の乱立にあるのですが、スタッフ・施設設備とも学校によってまちまちですし、学生の質も同様です。既存の大学が、こうした学校の増加によって、いたずらに焦り、カリキュラムを短縮化し、就職活動のみに力を注ぐようになっては、結果として中国の高等教育そのものの質が低下してしまいかねません。やhり、大学は大学として、あえて『正論』を貫かなければならないし、踏み越えてはいけない一線というものがあるはずです。
ちなみに、現在国家教育部は、211工程、985工程などの政策によって、一流大学の創出に努力していますが、これは一面において、上に述べたような大学の質の低下を防ぐための取り組みでもあります(もっとも僕には「優勝劣敗」という前近代的な発想ものとに切り捨てられる、多くの大学の行方に憂慮を禁じ得ないのですが)。
いずれにせよ、この就活問題は、中国の和谐社会の実現にとって、また全面的な小康社会の建設にとって、重要な試金石であると思っています。
克服しなければならない課題は山積していて、学生の皆さんには大変なことだと思いますが、学生は与えられた環境の中でベストを尽くすこと、そしてその支援に僕たち大学人が毅然として努めること、ここから始めていきましょう。
[蛇足だけど…]
中国の高等教育改革については、僕も関心を寄せています。
それでも僕の語学力のなさとおっちょこちょいさで、
もしかすると事実認識の誤り、勘違い、誤解が含まれているかもしれません。
お気づきの点がありましたら、どうぞご教示ください。
なお、拙稿「中国の国家新戦略と高等教育改革」(法政理論第39巻第4号2007年3月所収)お読みいただける方には、
コピーお送りします。お知らせください。 お小言彦左の夜 ぶつぶつ今夜は、もう何も書き足さずに寝ようと思っていたのだけど、
夜、4年生とチャットしていて、前々から気になっていたことが話題になったので、やっぱりここに書いておきます。
ちょっと堅苦しい話だし、長々と書いちゃうかもしれないので、「めんどくさーい」という方は、飛ばし読みしてください(笑)
これはたとえば、のお話。
P君(仮名)は就職活動のために、現在武漢を離れ沿海部の大都市にいます。このたび無事内定が出て、そのままその会社に勤務しています。
形式上は「実習」ということになるのでしょうか。しかし、彼は同時に学生でもありますから、本来は授業もあり、卒業論文も書かなければ
なりません。今学期、僕は4年生の担当科目がないので、出欠はどのように処理しているのかはわかりませんが、卒論は書きあがった部分を
そのつどメールで送ってきてくれています。
5月には卒論の発表会、答弁会が予定されています。彼は、仕事の都合で、武漢に戻って来ることは難しい、と言います。
「他の大学では、発表会なんてありませんし、4年の2学期は授業もありません…」
つまり多くの大学が就職活動優先なんですね。
就職率の良し悪しも大学・学部の評価にかかわりますし、何よりも学生自身の将来がかかってるのですから、
そういう態勢も分からないではありません。
が、しかし、です。
大学というのは決して職業訓練所ではないのです。私たちには学生に4年間かけて学んでもらいたいと思う学問があります。
そしてその総決算としての卒論があります。
たとえ会社の都合であっても、「学校に戻って来れない。授業に出られない。卒論の発表会に出られない」
…では本来卒業資格は与えられません。
「でもそれが現実ですから、仕方ありません」というのが学生の一般的な答えです。P君だけではありません。
僕もそういう答えを繰り返し聞いてきました。
もし、企業側が、その学生を「青田刈り」状態で雇用していることで、卒業資格が得られなかった場合でも正式採用し、その後も
卒業資格保持者と差別的取り扱いをしないというのならいいでしょう。学生も、卒業と就職のどちらを優先するかは自分で判断すれば
いいと思います(もっとも転職した場合はどうなるかわかりませんけど)。
あらためて言うまでもなく、卒業するまでは、学生は、あくまで学生なのです。
企業側も、採用をするなら、きちんと卒業できるような配慮が必要でしょうし、
学生が学校に戻ってきちんと卒業することをためらわせるような対応(「休まれて困る!」というような態度。)があるとすれば問題です。
本来なら、内定はあくまで内定として、実際の雇用は卒業まで待つのが筋というものです。
さもなければ、この国の大学制度は実質3年制の専門学校と同じになってしまうのではないでしょうか。
高等教育の充実は「十七大」とそれに続く「全人代」でも強調されているとおりですが、
今の就職活動状況は、いまだ「経済発展優先主義」的発想から抜けきっていないことを示しています。
「先生のおっしゃることは『正論』ですけど…」
その「…ですけど」と学生に言わせるような社会の仕組みこそ、政治の責任として、そして僕にとっては「大学人」(のはしくれでしかありませんが)の責任として
きちんと解決していかなければならない。そこが、僕のいちばん言いたい点なのです。
こうして「大久保彦左衛門」(彦左)的小言を夜中に長々とつぶやいているのも、
全面的な小康社会の実現に向けて、ゴビ砂漠の中の砂粒一つ分くらい(あるいは「蟷螂の斧」ほど)の効果があると信じればこそ…(ぶつぶつ)。
なお、これは言わずもがなですが、僕は外国籍ですから、
ときに「日本だって、三年生から就活に追われて、勉強どころじゃないって聞いてます」という『反論』を耳にすることもあります。
でも、これは「反論」にさえなっていません。「お前の国だってダメなんだから、私の国もダメでいい」というごまかしは、
自分の国に誇りを持ち愛国心をもった学生が口にすべき言葉ではないと思う。
毅然と胸を張って社会に踏み出すことのできる学生を育てること―それこそが大学人の務めだと信じて、
僕もそのために菲才を顧みず今夜もこうしてぶつぶつつぶやいているのです…。
29 March 哀しい夢とマンゴプリン今朝は、とても哀しい夢を見た。
どんな夢だったかほとんど覚えていないけれども、とにかくとても哀しい夢だった。
目を覚ますと、ひどく背中が冷たかった。
そんな夢を見たから冷たいのか、毛布を蹴飛ばして寝ていたから
背中が冷えてそんな夢を見たのかわからない
…たぶん後者だろうと思うけど。
基本的に僕は楽しい夢、幸せな夢、というものを見ない。
心にわだかまっていること、
抑え込んでる感情、
そんなものがデフォルメされて夢に現れる。
さもなければ、忘れたはずの記憶が、とても純度の高い結晶になって
不意に僕の胸の内側を刺すのに違いない。
きっと「思い出」というものは、失われるのではなく、ビンの底に降り積もる沈殿物のようなものなのだ。
何かの拍子に記憶という名のビンが揺すられて、沈殿物の中から、ほんの一瞬、思い出という結晶が舞い上がり、
それがまた静かに降り積もる。それが僕の夢の正体なのかもしれない。
…いずれにしても、今日僕はとても哀しい、さびしい夢を見た。
午後、院生のXさん、それに日本人留学生のYさんが、買い物の帰り(?)に立ち寄ってくれた。
煎茶と彼女たちの手土産マンゴ・プリンをはさんでしばらくおしゃべりタイム。
週末、こんなふうにして、笑い声が行き交うちょっとにぎやかな午後もいいものです。
今日の雨は冷たくて、風も強かったので、二人が運んできてくれた温かい雰囲気は
とてもうれしかったです。背中が少し暖かくなりました。
…ま、いいか今日は、穏やかな1日でした。
午前中はのんびりと洗濯をしながら本を読んで過ごす。
窓の外では朝から降りつづくやわらかな雨が、木々の緑をいっそう鮮やかに見せていた。
こんな日は、若葉の葉先にしがみつく雨垂れを、」胸いっぱいにたまるまでずっと見つめていたい気持ちになる。
昼は南門まで歩いて、いつもの「蘭州ラーメン」(「センセー、またですかー?」という学生の声が聞こえてきそう…)で昼食。
食後の散歩道には、白や薄紅色の牡丹、躑躅(つつじ)も咲きはじめて、
武漢はいかにも軽やかなステップで晩春から初夏へと向かっていく。
午後、日本語学部の教研室にちょっとだけ顔を出して、とくに用事もなさそうなので、自宅に戻る。
一息ついたあと、コーヒーを飲みながら、日本近代史の概説書を読み続ける。
近代日本における「知」の継受と「国民」形成について、大まかな流れをもう少しきちんとつかんでおきたい。
対照すべき中国近代史については、まだ手もつけていない。うーむ。急がねば、とわけもなくアセる。
日暮れ。薄暗くなってきたのに気がついて、あわてて買い物支度。
今日は久しぶりにスーパー「武商量販」まで足を延ばす
(と言っても徒歩10分…日ごろいかに僕の行動範囲が狭いか、ばれてしまいそう…。いやもうとっくにバレバレか><)
衣類用と食器用の洗剤、ワイシャツの襟用のスプレー洗剤、それに夕食の食材で結構重い荷物になった。
それにしても何でこんなに重いんだ?とよく見たら、僕の右手が誘惑に負けて勝手に緑色の「青島ビール」3缶買い込んでいたのでした(笑)
これもまたボク流「ま、いいかー」の金曜日。
ちなみにスーパーの1F出入り口には「臭豆腐」の店があって、
一歩店外に出たとたん、その名のとおりの「臭い」に包まれるわけですが…これがまた…ステキ…な匂いで。
これを上回る「臭い」は、食材としては「ドリアン」か「くさやの干物」ぐらいしかないでしょう、きっと。
しかし、この「臭豆腐」を侮ってはいけない。口に含むと、これがまた美味しいの何のって…まさに恐るべし中華5千年の歴史、です!
そんなこと考えて歩いていたら店先から、懐かしいメロディーが聴こえてきた。(ああー、今日は「ウタちか」のつもりはなかったのにぃ)。
聴こえてきたのは…我らが時代の中島みゆき、でした。
【今日のウタちか 武昌量販編】
「ひとり上手」
(唄:中島みゆき)
私の帰る家は あなたの声のする街角
冬の雨に打たれて あなたの足音を さがすのよ
あなたの帰る家は 私を忘れたい街角
手紙なんてよしてね 何度も繰り返し泣くから
電話だけで捨ててね 「僕もひとりだよ」とだましてね
心が街角で泣いている ひとりはきらいだとすねる
心だけ連れていかないで
ひとりが好きなわけじゃないのよ
…おかしいなあ>< 今日はこんな話を書く予定じゃなかったんだけどなー。
『品格』のある話を書きたかったんだけどなー。
ま…、いいか。
28 March いざ、ウタちか+はなむけのここのところ、どうにも落ち着かない日が続いていて、すっかり「ウタちか」がご無沙汰になっていた。
先々週のことだけど、2年生の「日语泛读2」の教科書で「いざ」という表現が出てきた。「いざというとき」「いざ、出発」の「いざ」。
ところがまず僕の脳裏をかすめるのは「いざ、鎌倉」であったり「いざ言問はむ都鳥」という歴史モノ系の例文なのである。
「いざ、鎌倉」については、いずれ「日本史概論」の中で解説すればいいので、ここでは端折ってもいいけど、「いざ言問はん…」は
ここで書いてしまおう。授業の補足です。
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥(みやこどり) わが思ふ人は ありやなしやと (在原業平)
この歌を詠んだ在原業平(ありわらのなりひら)は、道ならぬ恋の果て、都を追われるようにして東国へ旅立つ。隅田川(現・東京都区内)のほとりで
見知らぬ鳥に気づき、川の渡し守にその名を尋ねると「都鳥よ」という答え。そのとき業平が都に残してきた想い人に心を馳せて詠んだ歌。
[そのような名をもっているのであれば、都鳥よ。さあお前に聞いてみよう。私が想っているあの人は今、都で元気でいるのだろうか、と。]
現在、隅田川にかかる「言問橋(ことといばし)」。その由来もこの歌にある。都鳥とはユリカモメのこと。歌の出典は「古今和歌集」「伊勢物語」です。
さて、この言問橋にまつわる歌が今日の「ウタちか」。
【今日のウタちか】
「言問橋」
(唄:クラフト/グレープ/さだまさし)
会って別れて別れて会って 人のえにしのわびしさに
この橋の上でめぐりあう ここは言問 言問橋 なぜか忘れぬ人ゆえに 面影しのんでたづねれば 帯の匂い袋かおらせて 買い物帰りの急ぎ足 僕に気付くはずもない 会って別れて別れてあって ほのかな夢とひきかえに 思い出どうしがすれ違う ここは言問 言問橋 「えにし」とは、漢字では「縁」。
俗に「袖触れ合うも多生の縁、つまずく石も縁の端」とも言います。
人と人の出会いというのは、出会ったあとになって考えてみると、気の遠くなるほどの
奇跡と偶然の重なりあいのように思えてきます。
僕はなにものかを失ったあとに、いつもそんなふうに考えてみるのです。
…今日はもう一つ「ウタちか」、いきます。
【今日のウタちか②】
「ラブストーリーは突然に」
(唄:小田和正)
何から伝えればいいのか わからないまま 時は流れて
浮かんでは 消えてゆく ありふれた言葉だけ
あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らはいつまでも 見知らぬ二人のまま
明日になれば 君をきっと 今よりもっと好きになる
そのすべてが 僕の中で 時を越えてゆく
君のために翼になる 君を守り続ける
やわらかく君をつつむ あの風になる
さて、来週末には院生のMさん、学部生のCさんが交換留学生として長崎のJ大学に出発します。
1年間の留学生活。そこでは、いろいろなものとの出会いと別れが待っているはずです。
二人には、その一つ一つを大切に、そしていつでも心のアンテナをめいっぱい広げて、
多くのものを吸収して「豊かな心」で帰って来てほしいと思います。
「どうかつつがなく。」この言葉を君たちへのはなむけに。
やわらかな風は、海を越えて、いつも君たちをつつんでいます。
27 March 哀愁のR話は、しつこくも昨日の続き…。
結局、今朝になってようやくアクセス情報の確認ができるようになったのだけど、
この間(昨日の15:40から今朝07:30まで)のアクセス件数はなしとの表示。あれ?
今日も今日とて、ここまでわずか7件のアクセス…。
連日更改体制に切り替えて、こんなにアクセス数が少なくなった日は初めて…><
これは冷凍ギョーザ事件発覚後の中日間貿易のケースをはるかに上回る減少幅なのである。
何せ90%の減なのである。会社なら緊急役員会招集、経営陣は突き上げ食らって退陣を迫られる。
…と悩んでいても、何も解決するわけではないから、
「ま、いいかー^^」といつもの脳天気パターンで頭を切り替えることにする。
更新がちゃんとできて、コメントのやり取りさえできればオーライの世界なのである。
ああ、エラいCEOでなくてよかったー(…いや、そもそもこれ「会社」じゃないってば。。。)
そんなことより、自分のうかつさ、である、問題は!
正しくは「ビアード・パパ」(株式会社麦の穂の商標)なのである。
日本の友人は、昨日のブログを読んで「…信じられない…(バカ)」と、ぐさりひと刺し><
日本ではとても有名なブランドなんだって。
僕が甘いものを食べられるようになったのはごく最近のことなので、甘味業界のことには
とことん疎かったのでした>< そういえば以前住んでいた青島の
JUSCOにもこのお店が入っていたような…。思い込みというのはかくも恐ろしい…。
僕は、シュークリームから、まず「パン」を連想し、それでbreadと思い込んでいた。
bread papa…これではアンパンマンの「ジャムおじさん」である。
そうか、正しくはbeard papa…鉄腕アトムの「ひげオヤジ」だったのか…(いや、それも違うって><)。
話はちょっと飛ぶけれど、武漢にもおいしいケーキ屋さんがあると聞いてます。
尊敬するmklaoshiさん、最近知遇を得たYukilinさんお二方のブログにもよく登場する
「SAKURA-櫻花糕坊」さん。
一度はおうかがいして、おいしいケーキをいただきたいと思ってはいるのですが、
僕には霧で霞む長江の向こう岸はあまりに遠く、相当の決意をしなければ
たどりつけそうもありません。
誰か僕を連れて行ってくれないものだろうか…
と今日もひそかに思っている。。。(決して「ラムちゃん」は連想しませんから、お願いします><)
注:「アンパンマン」・「ジャムおじさん」/「鉄腕アトム」「ひげオヤジ」/「ラムちゃん」「さくらんぼう」
…すべて日本の漫画・アニメーションの登場人物です。
興味のある方は、一石亭までお越しください。
【今日のおまけ】
武漢はすでに初夏の装い…。
26 March …の甘い夜、のはずが恥かき話なぜか今日の午後になって、このWindows Liveの調子がおかしい。
自分のSpaceは開けるのだけど、ページアクセス数を確認することができない。
「アクセス情報」をクリックすると「現在スペースはバージョンアップ中で利用できません」という表示が現れるばかり。
ま、僕としてはとりあえずこの更新ができればいいわけだけど、
今日もわざわざ当BLOGにお立ち寄り下さった未確定多数の皆さんには、とりあえずこの場をお借りして、厚く御礼申し上げます(笑)
さて、今日は夜になって急に甘いものが食べたくなってしまったので、いそいそとブレッドパパ(※)へお出かけ。
先日話した「シュークリーム」(1個7元)を2個買ってきてしまいました。
ついでにそのお隣の店Happinessで明日の朝食用のブドウパンも購入。
へへ、美味しいものがあるとそれだけで、人間幸せ、しあわせ。
おいしい紅茶でも入れて、まずは1個目のシュークリームを食べようっと。
じゃ、いただきまーす。
(※)ぼんやりと写真の紙袋に描かれていたイラスト画を眺めていて、はた、と気づいた。
げげげげ級の大間違い!!!! お店の名前は「ブレッド(bread)」パパではなく「ビアード(beard)」パパの勘違いであった。
人というのは、えてして極めて単純な部分で過ちを犯す。単純であるがゆえに過ちは見過ごされやすい
…などと「教訓」めいた言葉でごまかしてる場合ではない。 恥ずかしい><
関係者の皆様、ごめんなさい。
(あー、学生からは「センセーの英語力ってやっぱりねー」とまたささやかれそうな…泣)
ん?今日は何か別のお話をしようと思っていたはずなのに…あれ?何だったっけ?あれ?あれれ?
あ、思い出した(ほっ…下手に忘れると最近では「歳のせいですか」と言われかねない…くわばら、くわばら)。
今日は「文章を書くのにいちばんふさわしい時間」について書くつもりだったのだ。
でも、もうおなかがシュークリームに満足して、アタマに向かって「も、今日はイイよ。明日にすればー」とのんきなことを言っている。
じゃ、今晩は「シュークリームの甘い夜」…ということにしておこう(笑)
…というわけで今晩は早めに「お仕事」に戻ることにいたします。
追伸:
この2、3週間でメッセンジャーの「メンバー」がまたポツポツと増えています。新しいつながり、とてもうれしいです。
今日は新たにMoonlight baby catさんが加わりました。これからもどうぞよろしく。
あ、さて さて(この「さて」という言葉、どうも僕は濫用気味のようである。先週だったか、2年生の「日語泛读2」の教科書の中に出てきた新出表現の中に、この「さて」があったのだけど、僕がすぐに連想したのは「あ、さて…」という切り出しで有名だった小林完吾アナウンサーと「南京玉すだれ」だった。まあ、どうでもいいような話で恐縮ですが。何にしても、僕は授業中によく話が脱線して、我に返ったときに使うのが、この便利な「さて」なのである。あ、さて…)すでに昨日になってしまったけど、3年生のLさん、Zさんに誘われて武漢大学の桜を見に行ってきました(どうも最近こんな話が多いような気もするのだけど、あまり気にしないでくださいね)。
朝、西門で7時に待ち合わせ、タクシーをつかまえて、すいーっと武漢大学正門前に乗り付ける。桜の季節になると武漢大学では入場(校?)料を徴収するらしいのだが、この時間にはチケット売りの学生たちはまだ来ていないので、やむなく(笑)フリーパス。その前に「正門」の写真を撮っておけ、とLさん。はいはい。
彼女の説明によると、右から読むと「国立武漢大学」。これを左から読むと…「学大漢武立国」(=漢ノ武帝ノ国作リニ学ブ)という意味になるとのこと。なるほど、なるほど。
3人でゆっくりと広いひろいキャンパス内を散策し、2人にはいろいろと校内各施設などのレクチャーをしてもらった。でも、Lさん、Zさん、なんで隣の学校のことにそんなに詳しいの?
驚いたことに、武漢大学には、とても長い「防空壕」まである。もともと武漢大学も僕の勤務する大学も小高い丘陵地に建てられているので、山のあちら側とこちら側を結ぶ隧道(トンネル)が必要なわけで、それが「一朝事ある」際には防空壕として機能するのだそうである。で、Zさん曰く「先生、日本には防空壕ありますか?」「名目上、実用品としての防空壕はありません!」何といたって「軍隊」そのものがない国ですから、日本は(笑)。
キャンパス内は、さすが211工程・985工程に選ばれている大学だけあって、設備も充実している。
桜の観賞には、少し時期が遅れた感はあるけど、それでも十分に堪能させていただきました。関係者の皆様、ありがとうございました。
いったんお昼前に帰宅し、特製ラーメンを作って食べ終わるてしまうと、急に睡魔に襲われ、ちょっと長めの昼寝タイムとなった。
夕方4時に、図書の返却に来てくれた4年生の子に会いに教学楼へ出かける。帰り間際にD老師が「今日、大学院留学生のYさんが来るんですけど、迎えに誰が出るかわからないんですけど…」。結局D老師自ら空港まで迎えに行くことになったらしい。2人は来月から歴史文化学院の同級生になるわけだし、D老師も気苦労が絶えない。ご苦労様です。
「さて、帰るか」と思ったところで、今度はO君に呼び止められ、彼の書いた文章の添削をする。それから早めの晩ご飯をとって、7時からの授業の準備。
夜の2年生の授業が終わるころ、再びD老師から電話で「Yさんも私も食事がまだなので、よかったらご一緒に」とのお誘い。9時に南門で待ち合わせ、そばの四川料理店Cで、彼らは遅めの夕食。僕はちょっとだけお付き合い。
夜10時帰宅。
…お、何か今日はごくごくフツーの日記調である。ま、たまにはこんな日があっても…いいのだ、たぶん。
25 March 海辺の街の話(第3回)1 僕はときどき<運命>というものについて考える。あるいは、僕たちが人生という曲がりくねった長い道の上ですれ違う、いくつかの縁について。
だからといって、僕は自分が運命論者だと思っているわけではない。でも、人生にはそうとしか思えないようなこと、そして、できるならばそう思いたいことが、いくらでも転がっているのだ。
僕が、日本を離れ、この大学に勤めるようになったのも、結局のところは、目に見えない何かの縁に導かれたものだった、といえなくもない。
***
20代の最後の数年間、僕は日本のある地方国立大学の研究室で無給助手のような仕事をしていた。ドクターコースは出るには出たけれど、とりたてて優秀な大学院生というわけでもなかったし、研究テーマが「ドイツ語文化圏スイスにおける『国民国家』の形成」なんていう現世的実用性のかけらもないものであったから、就職口なんてどこにもなかった。昼間は大学の研究室にうずたかく積み重ねられた書籍の資料整理やら何世紀も前からの黴の匂いの漂ってきそうな文書のデータベース化やらで時間をつぶし、夕方からは、アルバイト先の予備校で英語の講師をして(僕はいまだに満足な日常英会話さえできないのに…)糊口をしのぐ、といった感じの毎日だった。僕のスケジュール帳の「未来」の欄には、いたずら書きのひとつさえ書き込まれていなかったのだ。
その頃僕は、予備校の夜の部の授業を終えると、よく同僚のヒカリと近くの中華料理屋で遅い夕食をともにした。ヒカリは、僕と同じ大学の文学部の4年生で(つまり僕より6学年下の後輩にあたる。専攻はもちろん違っていたけど…)、就職難のあおりを受けて、早々と就職戦線から撤退し、予備校のアルバイト講師を続けることに決めこんでていた。
その日も、僕たちは、梅雨の走りに濡れた髪や上着の肩のあたりをおしぼりで拭きながら、年季の入ったメニューを覗きこんだ。
おじさん、とりあえずビール2本ね、よぉく冷えたやつ、と彼女は厨房で鍋を振るう店主に声をかけた。
「ふぅ。今日も蒸すねー」
ヒカリは、真剣にメニューを眺めている僕の方を振り返って、大きく息を吐いた。
「だいいち、あんな狭い教室に、中学生を20人も詰め込むなんて狂気の沙汰よね。クーラーだって効きはしないし。」
「うん」
僕は運ばれてきたビールの栓を抜いて、ヒカリのグラスにビールを注いだ。たった今北極海から届いたばかりなんじゃないかと思うくらいよく冷えたビールだった。そして自分のグラスにも、冷え過ぎて泡もたたないビールを注ぐと、「乾杯」と言って、ふたりで一気に飲み干した。のどに炭酸とホップの刺激が走り、冷えた液体の塊が胃に広がった。
「やっぱり、ビールって一杯目よね」
とヒカリは空になったグラスをテーブルの上に置きながら唄うような声で言った。
(つづく)
本日うだばた(書き直し版)今日(正確には、もうすでに「昨日」になってしまった 24日のことです)は夕方以降、妙にバタバタしてしまった。
実は、夜7時から教室を借りて、延び延びになっていた今学期第1回目の「朗読会」を開く予定にしていた(そのことは先週から書いてましたよね)。
ところが開演5分前に教室に行くと、入口付近に屯(たむろ)する2、3年生のざわめき。
「ん?」(なんか、いやな予感…。)
「先生、この教室、院生の授業で使うそうなんです。」
「へ?」(あ、やっぱり?先週から、どういうわけか課外活動には何かとケチがつく。)
思わず「ん・へ」の単音のみで会話してしまっているワタシ。だってさ、Zさんたちがちゃんと手続きして教室借りてあるんでしょ?
「院生の授業までは、外国語学院では把握していなかったらしいんです。担当の先生も帰ってしまわれましたし…。」
夜になると、未使用の教室は施錠されているので「いっそ青空教室はどうですかー」という元気な男子学生もいたが
(そして僕もやぶさかではなかったが)、青空じゃないでしょ、夜空だよ、「夜空教室」っ!><
すったもんだで、結局、第1回朗読会は順延、ということに。
その時蒸し返された「お話」も、今日は腹立ちまぎれに(ウソですよー。教育的観点からの正当な苦情です)書いてしまうのである。
本当は、この朗読会、先学期と同様、金曜日の夜にやるつもりであった。
ところが教室使用後の施錠を担当する夜間守衛の某おじさんが、
自分の帰るのが遅くなるからという超私的(だと思うけど、違う?まだ勤務時間内なんじゃないの?)理由で、
金曜日夜の教室貸出しを渋っていたらしい、のである。
朗読会だって学生たちの立派な自発的学習活動であると思うから、
何も「エライねぇ、うちの学生は。うんうん、ほんとにエラい!」と誉めてくれとまでは言わないけど…。
僕も、もうここでこれ以上は言うつもりはない(…といいつつ、なおもうだうだ)。
要するに、常に初心に立ち戻る謙虚さを忘れてはいけない、ということだ(もちろん僕自身も含めて、の話だけど)。
朗読会が順延になったことでZさんが本当に申し訳なさそうに僕に、すみません、と頭を下げたが、
Zさん、あなたは少しも悪くはないのですよ。本当にお疲れさまでした。これからもよろしくね。
さて、そのあと気抜けした僕を狙い定めたかのようにばたばたと「仕事」の矢が…。
うちのO君が文章の添削を頼みに来たので、それを片付けてから帰宅。
Hotmailを開こうとしたが、ネットの速度が上がらず、開くのに1時間以上もかかる(こういう単純な障害というがいちばん精神衛生上
よくないんですね、僕の場合は。イライラ度が増す…うだうだ)。
メッセンジャーで卒業生のZさんからも文章添削の依頼。
同時に別の卒業生からもネット上で「せんせ~い!この言葉の意味教えて」…。「ごめん、その言葉自分でGoogleに入力して検索してみて!」
もちろん、彼らに罪はないです。ただただ、タイミングが悪すぎた。
ああ、だから今日は、もう寝よう、寝るんだ。明日も早い。
Tomorrow is another day ... そうだよね my friend...
うだうだ+ばたばた、「うだばた」の1日なんか、さっさとやり過ごしてしまおう。
そんな今日でも、うれしいこともある。
それは、昼間天気がよかったので、毛布をしっかり干しておいたこと。
おひさまの匂いにくるまれて 今夜はぐっすりと眠ってしまおう。
おやすみ、明日はきっといい日だ。
【今日のおまけ】
晩ご飯の食材を買いにお昼時に集貿市場に行ったら、停電中。
蝋燭の炎があやしく揺れる。
結構好きだったりする、この雰囲気。
24 March うだうだ(書き直し版)さて、冬休みを終えて武漢に舞い戻ってきたその日に、
「これからは毎日、ブログ更新するんだからな!」と何の脈絡もなく自らに宣言してから、
あっという間に一カ月が飛んで消えて行ってしまいました。
年寄りでなくとも「時間が経つのは早いもんじゃのう」と、
渋茶をズズーっとすすりながら、ついつい呟いてしまいたくなる今日この頃なのです。
そもそも僕は何で、そんな決心をしてしまったんだろう?
お昼ご飯のあと、天気もいいので、花の写真を撮りながら、ぼぉーっとそんなことを考えていました。
で、自分なりに考えをまとめてみたわけです、その理由を。
そういうわけなので今日のお話はうだうだと続きます。
どこからか「下手の考え、休むに似たり」って声が聞こえてきそうだけどさ><
…ま、気を取り直して。
まずは自己鍛練…というほとではないにしても、毎日原稿用紙3、4枚程度の文章を書いてみることは、
仕事柄、それなりのウォーミング・アップになるんじゃないか、と思ったことがひとつ。
「お前、そんなことより早く論文書けよな」というお叱りの声が聞こえてきそうな気もするんだけど、今日は
まあ空耳、ということで…。
ふたつ目は、誰かに何かを表現して伝えたいという無意識の欲求があるということなのかもしれません。
ちょうど歌の大好きな人が、スポットライトやらカクテル光線浴びて、マイク片手にカラオケやるのと大差ない
欲求なのかもしれないけれど(もっとも僕はカラオケやりません。ひどい音痴なので、騒音公害をばらまくのは
聞かされる方に申し訳ないですし、何より音がずれてるのがわかりながら、音が合わせられない自分に、
ほとほと落ち込んでしまいそうだから。)
では、誰に何を語るかですが、実はそこが問題なんですね。
まず、自分に。前にもどこかで書いたけど、僕は「考えて書く」のではなく「書くことによって考える」タイプの
人間らしくて、とりとめもなく頭の中でうごめいているカオスのような思いをきちんとした形にしてやることが
僕自身にとって必要だということです。
次に、僕の学生や卒業生たちに、今僕が考えてること、授業中には伝えきれないこと(あるいは授業中では
憚られること)などをとにかく書いて話しちゃおうということです。取るに足らないがらくたのような雑学を巻き散らかしてる
感無きにしも非ず、ですが、それでもこれはこれとして「老師」としての必然的欲求なのかもしれません(笑)。
3つ目に、「誰でもいいから読んでくれー」ってタイプの文章もあります。
中には自分で読み返してみても、「これいったい何のために、誰のために書いたんだろう?」と
首をかしげたくなる文章がありますので、
これなんかはもう読み飛ばしていただいても一向にかまいません
(もちろんあれこれと『深読み』していただいければ、それはそれでうれしい…^^)。
そんなこんなで、きっとこれからもうだうだと文章を更新続ける毎日でしょうが、
袖触れ合った多生のご「縁」でここにお立ち寄り下さった皆さん、
これからもどうぞよろしくお願いします。
ちなみに、毎日更新するようになって、
1日のアクセス数がようやく平均80件前後、ひと月平均で500件ちょっとになりました。
例のブログの女王様のようにアクセス数1億件突破!なんて天文学的数字にくらべればほんとにかわいいものですけど、
僕にとっては、「きっと、これ○○さんだったら、わかってくれるよなー」などと考えながら書くのも楽しいです。
そういう意味で毎日の80件、読んでくださる皆さんに、あらためて感謝感謝、です。
ということで、今日の文章は第3のタイプということになりそうです、やっぱりね。うだうだ…。
<今日のおまけ> 一石亭界隈
最近僕がよく行くデパ地下スーパーです。
(左上)群光広場デパート外観 (右上)「ブレッドパパ」シュークリームが美味しい
(左下)スタバもできた。でも高い。僕は自分で淹れて飲む派
(右下)ここのブドウパンもなかなかの味。5.5元。
Q 日本人の方にクイズです。
「肯徳基」って何のお店でしょうか?
このお店もここのデパ地下にあります。
A 「けんだぁじー」:ケンタッキー・フライド・チキンのお店です。
中国料理に慣れない方には「救いの神」的存在かも…。
23 March 引越しをめぐる話今朝目が覚めて(と言っても、昨日のお花見で、けっこう疲れがたまってたのか、目が覚めたらもう8時半になってたけど)、
パソコンに一通のメールが届いていた。F県に住むKさんからのもので、「またお引越しすることになりました」と書かれていた。
引っ越し、といえば、僕の家も引っ越しが多かった。僕の父親は「転勤商売」の人だったので、僕が高校を卒業して家を出ると、
それからほとんど一年おきといってもいいくらいに頻繁に転勤、引越しを繰り返した。だから、正月や夏の盆休みに「帰省」する
とき、僕は自宅がどこにあるのかよくわからない(もちろん住所はわかってるけど)ということもしばしばだった。
「あのさ、来週帰るけど、家、どこ?」
母にかけた僕の電話をまわりで聞いている人は、いつもちょっとびっくりしたような表情をしていた。
父は、山口・広島を何度も繰り返し引っ越ししたあと、和歌山、徳島、奈良、大阪と関西圏を渡り歩いた。
そのたびに、僕は、帰省というより、長期休暇を利用しての小旅行といったほうがふさわしいような冬と夏を、長いこと繰り返した。
なかでも思い出深いのは、ちょっと病気をして入院し、静養のために「帰った」和歌山。体力回復のために、
毎日午前中は自宅の官舎から、市内を見下ろせる高台に立つ和歌山城までせっせと歩き続けたものだった。
あの暑い夏の日々は、僕の記憶に鮮明に残っている。これからの自分の人生に対する不安を抱えて、アスファルトの道路に
くっきりと映る自分の黒い影を眺めながら、ただただ歩き続けた日々。僕はまだ20代半ばだった。
それから奈良。近鉄奈良駅から興福寺の境内を抜けて、飛火野(とぶひの)、馬酔木の林を通り、新薬師のそばにある自宅官舎までの
30分の道のりが、僕はとても好きだった。
実は去年まで、M商事奨学金でQ大学の院生数人を引率して10日間の日本研修を何年かさせてもらっていた。
京都での社寺回りにそろそろ飽きてきた学生たちを無理やり引きずって、僕の好みだけで奈良へ連れて行ったことを、
今ではなぜかとても懐かしく思い出す。
――来月の初旬にはおそらく奈良からも花の便りが届くでしょう。
22 March 光のどけき春の日に今日は、本科2年のL君、Z君それにXさんの3人に誘われて、朝から東湖桜花園へ花見に行ってきました。
お弁当を作る約束をしていたのだけれど、昨日会議が長引いたうえに、そのあともいろいろとバタバタしていたため、買い物に行きそびれてしまい、
結局、おにぎりだけ用意することにしました(本当はタコウィンナーや卵焼き、胡瓜のハム槇巻きorチーズ巻きなんかも作りたかったんだけど><)。
朝、6時半に起きて、5合のご飯を炊き、1合半はちらし寿司のおにぎり。表には刻み海苔、裏には錦糸卵のトッピング。次の1合半はゆかりの混ぜご飯。
淡い紫色がカラフル。残りの2合は、ごくごくシンプルに海苔と、とろろ昆布の2種のおにぎり。ちょうど作り終わったころ、お迎えが来る。
予定では、東門近くの貸自転車屋で4台の自転車を借りて、春風の中、東湖沿いをサイクリング(「若く明るい歌声にぃ~♪」の世界だー、う、古っ!)
しながら「東湖桜花園」に行くはずであった。ところが、宿舎の階段を降りてみると、自転車の影も形もない。
「ん?」
実は、とZ君。
「昨日貸し自転車屋にちゃんと予約していたんですけど、今朝行ってみたら、先に来たほかのグループに全部自転車を貸し出してしまっていたんです。」
うーむ、である。どうして、週末の楽しいレクリエーションのときにかぎって、こういう「中国がこれから解決していかなければならないいくつかの問題」のひとつが
発生するのか(先週もそうであった)。
すったもんだした揚句(あげく)、結局タクシーで桜花園に行くことになりました(本来は貸し自転車屋に代金を請求してもいいのだ。…くどいか 笑)。
入場料は、大人20元、学生10元。
園内に入ると、まさに準(「純」ではありません)日本庭園。それでも今を盛りと咲き誇る大島桜やソメイヨシノ。広大な園内を4人でのんびりと散策しながら、
風に舞い散る桜の花に酔ってしまいました(決して学生が用意してくれた「青島ビール」3缶のせいではない、ですからね)。
詳しくは、本日付アルバム(フォト)「春高楼の花の宴」(70枚、載せすぎかしら><)、ご覧くださいね。
桜の木の下で食べるお弁当も美味しかったです。お腹いっぱいになったあと、学生たちは、恒例の「お昼寝」。僕は、ひとり撮影続行^^
さて、帰りの足ですが、自転車がないので(我ながらくど過ぎる…><ゴメン)、協議の結果、東湖を小船に揺られながらゆらりゆらりと帰ろうということに。
湖面に照り返る午後の日差しを受けながら、吹きわたる心地よい春風の中、僕はいつの間にか小船をゆりかごに、すやすや眠ってしまいました。
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ (紀友則)
海辺の街のお話 (第2回) 「それって…何かのおまじない?」
そのとき僕はおそらくとびっきり間の抜けた表情をして尋ねたのに違いない。少女は、僕の顔をしばらくの間(もしかするとほんのわずかな時間だったかもしれないが、僕には相当に長く感じられた)じっと見つめ、それから、少しいたずらっぽく笑って、そうですね、と言った。
「そうですね。おまじない、みたいなもの。ずっとずっと前に…ある方から教えていただいた言葉なんです。この言葉を、毎朝起きたとき、夜寝る前に自分に言い聞かせなさいって。そうすると毎日が楽しくなるからって。ふふ、私ってちょっと変わってます?」
僕は、あわててかぶりを振った。でも、正直に言えば、その時の僕には、彼女がそんな禅語のような言葉を朝晩唱えている姿を連想することはかなり難しかった。
しかし今なら、わかる。それからあまりに多くのものとの出会いと別れを繰り返し、通り過ぎて行った時間の空虚な重みをちょっとは味わうことができるようになった今の僕になら。彼女がどんな気持ちでその言葉を唱えていたのか。どうして、そのような笑顔を僕に与えてくれていたのか。今では僕自身が、何かの拍子に、「豊かな心 きれいな言葉、 豊かな心 きれいな言葉…」と口の中で反芻している自分に気がついて、呆然とすることさえある…。
「いい言葉だと思うよ。きっと、その言葉を教えてくれた方は、君にとってとても大切な人だったんでしょう?」
彼女は、まるでどこか遠くの、誰も知らない平和な森の小動物のようにコクリとうなずいた。そして、大切そうに両手で支え持っていたマントウを口に運んだ。彼女は、一口齧ると、それを丁寧に咀嚼した。それも小学校の音楽室のメトロノームのように規則正しく。穏やかな初夏の日差しが、大きな窓から差し込んでいた。空は繊細な青みをたたえていた。彼女は日差しをたどるようにして外の風景に視線を送りながら、咀嚼を続けた。僕たちの間に(もしかしてそういうものがあるのだとしたら)ぬくもりのある静けさがトンと腰をおろしていた。僕は、意味もなく、彼女の愛らしい下顎が上下するのをぼんやり眺めながらとその動きを数えていた。(一、二、三…)彼女が一口マントウを齧り、それを最後にコクンと飲み下すまでに、きまって30回顎が上下した。それに気づいたとき、僕は思わず微笑んだ。彼女にとってとても大切だった人はきっと彼女に「食事は必ず30回噛んで食べなさい。そうすると毎日がとても幸せになるから」と言ったのだろう、と。そして彼女はその教えを、もう無意識のうちに繰り返しているのにちがいない、と。僕は、敬虔といってもいいほどの素直さをもった彼女に、ちょうどその時食堂の庭先の芝生の上に降りかたまっていた5月の陽だまりに似た、ぬくもりに満ちた感情を抱いた。
(続く)
くどいようですが(笑)、これはフィクションです。たとえ100%そうだとは言えないとしても…。
21 March Spring Rain今日は1日雨模様でした。
それでも昼食を済ませると、午後2時10分からの会議まで、少し余裕があるので、
ポケットにデジカメをねじ込んで、傘をさしてキャンパス内の散歩に出かけました。
雨の日の花たちに会いたくなって…。
彩り鮮やかな花弁の上で、
若草の上で、
春がそのまま結晶したように
雨の滴が輝いていました。
ところで、昨日本科3年生の「高級日語2」の授業でのこと。
「~過ぎる」という表現が出てきたので、学生たちに、
「この表現を用いて、短文を作ってみてください!」
間髪入れずに秀逸な?答えが返ってきました。
明日は土曜日。本科2年の学生に誘われて、
明日は朝から東湖湖畔にお花見に行くことになっている。
今週末が見ごろとのことだったけど、今日の雨で散り急いではいないだろうか。
ピクニック気分で、少し早く起きて、おにぎりを握って行こう。
烟花三月下扬州…そしてHムラカミ僕のつまらない話によく付き合って下さる方の中に、元・同僚のC老師がいる。
その彼とほんのさっきまで、チャットをしていた。
チャットの中で、彼の奥方の旅行話から、ふと「烟花三月下扬州」という句の話になった。
「李白ですね」。いくら中国語のだめな僕でもこの句なら(ちょっとだけだけど)知っている。
高校の古典で習う漢文に必ず載せられているものでもあるし、
なにより僕は今「ご当地」武漢に住んでいるのだから、むしろ知らない方が恥ずかしい。
僕は、おぼろげな記憶を手繰り寄せて、
「黄鶴楼にて 孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る」という題をなんとか思い出す。
とても美しく、長江を渡る風に哀感が漂う。
日本語で読み下しても、その情景を思い浮かべることができる
イメージ喚起力の強い歌である。
日本の故人もまた、悠久の流れをたたえる、まだ見ぬ長江に思いをはせて、
この歌を吟じたに違いない。
と、そのとき、C老師は、「読み下しでは、元の音韻が消えて、この詩歌の美しさが台無しになる」という感想を示された。
まことにその通りで、中国語の流れるような音韻、リズムと日本語のそれとはまったく異なる。
日本語の読み下しでは、男性が低音で朗々と吟じるのにふさわしいが、中国人であるC老師には、あまりに硬く、
一本調子で、その味わいが感じられないのかもしれなかった。
そこで、今学期僕が担当している「外来文化摂取史」の問題となる。
日本人は、外来の文化・思想・制度を基本的には書物をつうじて獲得してきた。現物を視覚や聴覚、触覚で味わうことは、
四海に囲まれた日本の地理的条件では難しく、いきおい文字情報に頼らざるを得ない。漢詩もまた、そのようにして
文字としての芸術として日本に紹介され、日本語と日本語の文法に沿って読みかえられてきた。
その意味では、この李白の歌も、読み下された時点で、もはや中国の漢詩ではなく、
新たな「命」を吹き込まれて日本の漢詩として生まれ変わったのだといってもいい。
とすれば、違っていて当然なのである。
むしろ李白という中国の生み出した文学が海を越えて、日本人の文学の中に華を咲かせる、ということに、文化の共有、
共通の財産があることを、僕は喜びたい、と思う。
中国語で吟じる李白も美しい。
日本語で吟じる李白もまた好し、である。
近年、中国でもブームとなった感のある「Hムラカミ文学」――。
これは中国海洋大学の林老師(一度だけ宴席でご一緒させていただいたことがあるだけですが)のご翻訳の力によるところが大きい。
その翻訳にしても、林老師の浩瀚な知識や造語力をもってしても、原文のもつ情緒との間にずれがあると批判する向きもある。
ここでもまた、僕は、日本の村上春樹文学と中国の「ムラカミ文学」」が同じであるべきだとする批判(があるのだとすれば)には、
ただちには首肯できない気持ちになる。
中国には、中国の「ムラカミ文学」があっていいし、林老師の「挪威的森林」があっていいと思う。
海を越えて共有され、それぞれの文学の中に深化してゆく僕らの時代の財産として。
そんなこんなで、つねに僕を触発してくださるC老師、本当に感謝してます。
これからもどうぞよろしく。 20 March 夜更けのカレー夕方、仕事を終えて、市場に寄って玉ねぎを2個買い、部屋に戻ったとたん、急に眠たくなった。
ちょっとだけ。のつもりでベッドにもぐりこんだら、そのまま爆睡してしまった。
目が覚めたら、夜7時半。
あ、今晩の献立はカレーだった。急いで下ごしらえしなくちゃ。
玉ねぎのやつもリビングのテーブルの上に放り出されたまま、僕を待ってる。
実はまだおなかの底から湧き上がるような、あのはちきれんばかりの食欲は感じてないのだけど。
でも、せっせと手足を動かして、カレーの匂いがキッチンに広がるころには、
きっとおなかも目を覚ますだろう(笑)。なにせ僕のおなかはすごい寝坊介なのだ。
以上「一石亭特製カレー」製作実況中継、でした。
ではでは。
(つぶやきのひとこと:今日はかぎりなく超ワタクシ世界になってしまった…。いいのか、こんなもんで? イイのだ!)
19 March 海辺の街のお話 それはまだ僕が海辺の街に暮らしていた頃の話だ。
その街で僕はひとりの少女と出会った。少女は南の島の生まれで、僕の勤める大学には留学生としてやってきた。少女の住む国際交流会館は僕の宿舎のすぐ裏手にあった。僕は、たまにいくつかの仕事がダブって、それらを片づけるのに明け方近くなることがあった。そんな日は、仕事を終えると、カーテンを開けて、それから熱いコーヒーを淹れて、間もなく昇って来るにちがない朝日を待った。窓を開けて煙草に火をつけ、次第に白んでくる東の空をぼんやり眺めていると、いつも早朝の散歩をしているらしい少女が、きまって僕の部屋の窓の下を通りかかった。
その日も彼女は、白いトレーナーにややタイトな紺色のジーンズ、それに薄茶色のスニーカー、という出で立ちで窓の下を、ゆっくりゆっくりとと、まるで歩数を確かめるかのように自分の足もとを見つめながら歩いていた。ふと彼女が視線を上げたので、僕と目と目が合った。僕は思わず「おはよう、早いね」と、彼女に声をかけた。徹夜明けとタバコの吸いすぎでかすれ気味の声に、彼女はほんの少し小首をかしげるようにして微笑んだ。
「おはようございます。先生。今日はお早いんですね。ずっと仕事されてあったんですか?」
南の島の訛りが少し混じった、とても柔らかい声だった。
このようにして、はじめて僕たちは声を交わした。それ以来、僕たちはときどき朝の食堂で顔を合わせたときなどに、同じテーブルに向かい合って座って、どうということのない世間話をするようになった。僕はもともと話をするのが得意なタイプの人間ではなかったし、無理をして相手の話に合わそうとしても、相手が投げかけてくれた言葉のボールをうまくキャッチできず、ハンブルしたり、トンネルしたりして、相手も僕もへとへとに疲れてしまうことがよくあった。でもバイキングの朝食トレイを真ん中に、彼女と向かい合っていると、僕の言葉は自分でも驚くほどすらすらと出てきた。
僕の話を聞く時、彼女はいつも口元に穏やかな笑みを浮かべて、僕が次の言葉を探しているときも、やはり笑顔のままほんの少しだけ小首をかしげて辛抱強く待っていてくれた。彼女は本当に聞き上手だった。そして自分が話すときも、決して声の調子を上げたり誰かのことを悪く言ったりすることはなかったし、同じことを伝えるにも、少しでも好意的な表現を慎重に選んでいるのがよくわかった。僕は彼女のそんな印象を、彼女自身にそのまま伝えたことがある。すると彼女は、唇をきゅっとひきしめ、しばらく自分の心の中を目に見えない指でなぞっているかのように黙り込み、それから
「豊かな心 きれいな言葉 親切な行い」
と言った。(続く)
※このお話はあくまでも文章修練のためのフィクションです。
実在の人物・団体等とは全く関係ありません。
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