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    30 April

    健全なる精神に健全なる肉体を

    今日の午前の授業で、とりあえず連休前の仕事はすべて終了。午後からは、事実上の連休に入ることができる。

    公定の5月1日(「労働節」:いわゆるメーデーで中国ではたんに「五一」ともいう)~3日の3日間に加え、
    5月4日も事実上おやすみ。五四は「青年の日」(※)と呼ばれ、28歳以下の青年層は無条件で祝日扱いである。
    ※「青年の日」の歴史的由来は「五四運動」にあるが、理性愛国の今日、中国の青年が冷静かつ理性的にこの国の
    未来を考える日と捉えたい。
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    お昼は、学部2年生4人と一緒に南門近くのレストランRで。うち2人は、一緒に食事をするのは初めてだった。
    僕は自分から学生を何かに誘うことがあまり得意なタイプではないから、食事をともにしたことのない学生が多い。
    というわけですので、誰か気軽に「一緒に食事に行きませんか」と声をかけてくれると、僕としては、とてもうれしいです。
    ひとりだと、ついついチャーハンのテイクアウトか蘭州ラーメンという、かわり映えのしないランチになってしまうので。
    どうぞよろしく。
     
    食後は他の学生とは違う寮に住むWさんと一緒に「校内第1コース」の散歩道を歩く。彼女の寮は、たまたまそのコースの途中にある。
    バスケットボールコートの近くで薔薇の写真を撮っていたら、コート内から「先生~!」の声。見ると、経済学院との合同クラスの1年生
    男子学生二人。この暑い中、ガンガンとバスケをやっている。先学期、彼らのクラスの授業を担当させてもらったが、みんな成績も優秀だし、素直。
    健全なる精神は、健全なる肉体に宿るべし」…思わずクーベルタンの有名な言葉を思い浮かべました。
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    連休中何をしますか?という質問をここ数日の間に多くの学生からもらいました。
    基本的には何もしません。
    たぶん、キャンパス内をデジカメ抱えてぶらぶらと歩き回っていることでしょう。
    ただ、ちょうど今学期の折り返し地点でもあり、後半の過ごし方について、少しは計画の練り直しもしたいと思っていますが…。
     
    今のところスケジュールは、5月4日夜7時から「朗読会」、5月2日「ピクニック」しか入っていません。
    早い者勝ちですので、もしお誘いくださる方がいらっしゃいましたら、お早めにお願いいたします。へへ。
     
     どなたか僕を「書き過ぎ」状態から解放してください…と、ひたすら他力本願の連休初日です。
     
     

    クーに鉢植えを

    日本では、ようやく牡丹の花が開くころ、
    僕の住む街では薔薇の花がすでにその艶やかさを誇っている。
    深緑の樹間を吹き抜ける風も、ほのかに熱気をはらみ、
    何かの花の香がその風に乗って漂う。
    葉影の色深まる午後、
    キャンパスの散歩道、
    その影の向こうに「夏」がすっくと立っていた。
     
     
    今日はじっとしていても汗ばむほどの暑さでした。
    午後は薄地のワイシャツの袖をたくしあげて、日差しの中をせっせとお散歩してきました。
    満開のバラの花の写真を撮って歩いています。
    デジカメは、3回とも100枚を超えたところで、ほぼ3日目に同じ症状で故障したので、
    明日あたりが再び正念場になりそうです。
    明日また故障するようなら、もうお手上げ…><
     
    散歩の途中で鉢植えをひとつクーのために買ってやりました。
    最近は家で留守番ばかりのクーが拗ねているようなので。
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    そうそう、昨日は手芸の好きなPさんが手作りの造花をプレゼントしてくださいました。
    蘭はわかるけど、そのほかの花は中国語で何と言うんでしょう。
    誰か教えてくれませんか。
     
     ――僕の部屋でもざっくりと季節が移り変わる気配の4月末、です。
     
     
     
     
    29 April

    エリス我が愛 2

    Dさんからの質問は続きます。
     
    お忙しいところをほんとうに申し訳ございません。先生のごメールどうもありがとうございました。
    またお尋ねしたいところがありますが、先生のおっしゃった通り、確かに、豊太郎とエリスとの関係を絶たせた原因には明治国家の使命があります。
    けれども、個人的に言えば、そればかりでなく、小説の中で豊太郎の出世欲と栄達を求める心を描写するところが何箇所もあります。
    先生はどうお思いになにますか。また、もし豊太郎の妥協性を分析したければ、どういう方面から着手すればいいのですか。
    先生のご意見をお聞きしたいです。お願いします。
     
    僕の回答
    まず、昨日の「母の絶対性・神聖性」について、若干の補充を。
     豊太郎は22歳から27歳までの5年間をドイツで過ごします。そして彼がエリスと出会ったのが25歳。豊太郎は、間もなく「冤罪」によって、
    官職を免ぜられ、帰国を求められます。それと時を同じくして、母の死を知らされます。もし彼が「前近代的な儒教道徳」に縛られていれば、
    この時点で(エリスとはまだ「よそ目に見るより清白」な交際でしたから)、母の弔いのためにも、おそらく帰国していたはずです。
    しかし、実際にはこれをきっかけにエリスとの仲が深まり、さらに2年の時間が経過するのです。
    なお、豊太郎が母への孝行を怠っていた、とは僕も思いません。勉学に励むことで「独り子の我を力になして世を渡る母の心」を慰め、
    「某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ」たことは彼の孝心の表れです。また洋行に際して「せきあえぬ涙に手巾を濡らしつるを
    我ながら怪しと思ひしも、…早く父を喪ひて母の手に育てられにしによりてや生じけん」としているところにも、母からの影響の強さをうかがわせます。
    つまり孝心の点で人後に落ちはしないのですが、だからといってそれが彼の「心変わり」に決定的な役割を果たしたとは言えないということです。
     
    次に、出世欲、栄達についてです。
    僕も、豊太郎の「功名心」については否定しません。日本では、よくこれを「青雲の志」といいます。「我が名を成さむも、我が家を興さむも、
    今ぞと思ふ心の勇み立ち」、「模糊とした功名心」などは、有為の青年ならば誰でも持つものです。そしてそれが国家的任務ともなれば、
    その晴れがましさは、他に引き比べるものもなかったでしょう。身を立て名をあげ、やよ励めよ」(=立身出世)こそが、明治国家日本の原動力
    だったという事実を忘れないでください。
    しかし、エリスに出会う頃になると、豊太郎の心に変化が生じます。「既に久しくこの自由なる大学の風に当たり」「歴史文学に心を寄せ、
    ようやく蔗を噛む境に入」るようになると、彼の「心の中なにとなくおだやか」ではなくなります。
    それは、豊太郎が近代の基本思想としての西欧型の「独立の思想」を抱くようになったということです。
    そして豊太郎は国家的任務と結びついた自分の「功名心」にも疑念を抱きます。
    それが周囲の留学生に猜疑心を起こさせ、彼への嘲りと妬みを生じさせることになりました。
    豊太郎は、エリスと出会い、清らかな交際を始めますが、それを妬む周囲の留学生の告げ口で、豊太郎は免職の憂き目にあいます。
    そして帰国を迫られたこと、さらには母の死が豊太郎の心に追い打ちをかけます。
    その結果、「このままにて郷に帰らば、学成らずして(※)汚名を負ひたる身の浮かぶ瀬」のなくなった豊太郎は、「功名心」も「栄達」も捨てて、
    エリスとの愛を選ぶに至るのです。
    エリスとの2年間は、貧しくささやかなものでありましたが幸せな生活であったはずです。しかし、実現しなかった「もう一つの人生」(=栄達)は、
    彼の脳裏の片隅にいつも存在していたに違いありません。だからこそ、親友を思う相沢の助力を受け、再び「もう一つの人生」を
    選択する機会が訪れたときに、彼の心に迷いが生じたのです。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。
    ただ年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け」「しばらく友の言に従ひて、この情縁を断たんと約しき。余は守るところを失はじと思ひて、己に敵する
    ものには抵抗すれども、友に対しては否とは対へぬが常なり」というのは、彼の言い訳にすぎません。それが彼の心の弱さでした。
    もちろん、そこには「もう一つの人生」への道が大変険しく「ダメでもともとだから」という気持ちも含まれていたでしょう。
    しかし、僕は、その心の弱さを笑うことはできません。エリスも豊太郎を必要としていましたが、友・相沢も豊太郎のためを思い、
    また明治国家にとっても彼は有為の人物と目されていたからです。青年として、当然の迷いが生じるでしょう。
    功名心の日々とエリスとの愛の日々の両方を経験したからこそ、その迷いは深いのです。そして、豊太郎は、天方伯の信頼を獲得し、
    政治の大舞台に立つことになります。そのときには相沢との約束は引くに引けないものになっていました。
    このように考えてみると、自分の才能・能力を思い存分発揮してみたいという豊太郎の「功名心」(よみがえった「青雲の志」)が
    国家的名誉(任務)や相沢の友情と結びついて、いったんは自らの「独立の思想」によって選び取ったはずのエリスとの愛を断ち切らせてしまったことが
    わかるでしょう。その意味において、この結末は彼の心の弱さに由来する、と言えそうです。
    なお、念のために付け加えておきますが、ここにいう「栄達」「功名心」というのは、決して地位や名誉、財産を求めてのものではなかったということです。
    「男子と生まれたからには青史に名を刻む仕事がしたい」という思い、それこそが、彼の「功名心」であり、その結果としての「栄達」であったのです。
     
    ※明治時代の青年の精神は次の漢詩に示されるようなものであったと思います。ご参考までに。
     
      「勤王立志の詩」  
                  僧月性
     
    男児立志出郷関 (男児志を立てて郷関を出づ)
    学若無成不復還 (学、もし成るなくんば、また還らず)
    埋骨何期墳墓地 (骨を埋む、何ぞ期せん墳墓の地)
    人間到処有青山 (人間到る処に青山あり)

    ちなみにこの詩を書いた月照は、幕末に倒幕運動に加わった周防国(現・山口県東部 僕の出身地です 笑)の人で、「海防僧」とも
    称されました。この詩は明治期以降も長く青年に愛され、森鴎外の『舞姫』でも太田豊太郎の行動に大きな影響を与えていると思われます。
    実は僕もこの詩が大好きです。
     
    さて、最後に。
    もしあなたが太田豊太郎の立場だったら、どうしたでしょうか?
    また相沢謙吉の立場であったなら?
    もし、あなたがエリスの立場であったなら?
    そんなふうにいろいろと自分の人生を考えてみる時間があってもいいような気がします。
     
    もし僕が豊太郎であったなら…
    へへ、きっと僕の心の中でも豊太郎と同じような葛藤があったでしょうが、答えは自ずと決まっています。
    でも教えてあげない^^
     
    28 April

    卒論発表会・場外編 エリスわが愛

    卒論発表会はひとりの発表時間が8分以内、質疑応答時間が5分程度と、十分な時間が確保できなかったため、助言をするにしても、消化不良の感がありました。
    文学コースのDさんから、あらためて質問メールをいただきましたので、これも「発表会」の延長と考えて、その性質上公開が必要だと思うので、ここに掲載しておきます。
    Dさんの問題意識と探究心は素晴らしいと思います。よい論文を仕上げるには、Dさんのように、疑問点をとことんまで追究し、議論を恐れない姿勢が大切です。
    下級生の皆さんも参考にしてくださいね。
     
    【Dさんからの質問】
    論文について、ちょっとお尋ねしたいことがありますが、私の論文は『舞姫』について分析したのです。発表会の時に、先生から母親の絶対性は豊太郎の妥協性を示す理由ではないという意見をいただきましたが、でも、やっぱりその原因は分かりません。豊太郎にとって、母は絶対的の神聖的な存在で、母の望んだ生きた法律が我慢できます。母の意志に従うのです。親に孝行を尽くすことは儒教的な道徳です。ですから、母親の絶対性は彼が封建的道徳に妥協することを示すのではないですかとおもいます。先生のご意見を聞かせていただけませんか。
     
    【僕の回答】
    お答えします。
    Dさんが「豊太郎にとって、母は絶対的かつ神聖な存在」とする根拠は何ですか?「余はひそかに思ふやう、我が母は余を活きたる辞書となさんとし、我が官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらんはなほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず」(私がひそかに思うのは、母は私を活きた辞書にしようとし、上役は私を活きた辞書にしようとしているのだ。辞書になるのはまだ堪えることもできるが、法律になるのは到底我慢できない)という部分でしょうか。これはあくまで、「辞書」(=母の希望)「法律」(=官長の希望)を比べて、「辞書の方がまだまし」と言っているにすぎません。まだまし、だからといって、ただちに「母の意見にしたがう」はずだというのは論理の飛躍です。むしろ相沢や大臣から帰国を促された時、母の存在については全く記述されていないことに注目してください。いったん帰国を断念し、貧しい暮らしをしていた豊太郎に、帰国と国家的使命(もちろんその結果としての栄達)が再び見えたときに、彼は半ば心ならずも、半ば弱い心で、帰国を決めるのです。物語の後半(帰国することになってからエリスが真実を知るまでの間)に全く母に関する記述が出ていないことをあなたはどう説明しますか。また、「我が名成さむも、我が家を興さむも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、五十をこえし母に別るるをもさまで悲しと思はず、はるばる家を離れて…」という描写をどう解釈しますか。むしろここでは母への思いよりも功名を優先させています。
    また一般論として、「親に孝行することは儒教的道徳」だとしても、それが豊太郎の身の振り方を決定したとする具体的な根拠は本文中のどこにありますか?母とエリスを比べて、母を取るのだという描写やそれをうかがわせる記述はどこにもありません。Dさんの解釈を補強する根拠が別に何かありますか?
    太田豊太郎や作者森鴎外自身は近代日本の建設者として、また絶対的天皇体制の礎石として(つまり国家的責務を十字架として)生きざるを得なかった、というのが僕の考えです。けっして母(ないし前近代的封建道徳)や出世などということが、エリスと豊太郎を引き裂いたのではない、またはそれらが第一義的なものだったのではない、と僕は考えます。
     
    回答の内容はご理解いただけましたか?不明な点があれば、また質問してください。
     

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    本日なおも未熟者

    「豊かな心
      きれいな言葉
        親切な行ない」
    すでに僕のブログの中で何回か出てきた言葉です。『海辺の街のお話』でも幸が大切にしている言葉ととして登場しています。
    この言葉、実は禅宗の新井石龍師の言葉であり、僕の部屋にもこの言葉の書かれた色紙が額に入れられ、壁に掛っています。
    そして、これは僕自身が自戒の念をこめて毎日目にしている言葉だ、ということも、すでにどこかで書き記しているかもしれません。
     
    僕が特に留意しているのは「きれいな言葉」ということです。
    僕の近くにいる人はたいてい気づいていると思いますが、僕は何か頼み事をするときには、たとえ相手がだれであれ、
    必ずといってよいくらい丁寧語を使っています。
    ごくふつうにおしゃべりをしているときにも、できるかぎり丁寧な言葉で接したいと僕は思っています。
    ときには、それがよそよそしい、と感じられることもあるらしい><ので、ある程度柔軟に言葉を使い分けるようにはしていますが、
    基本的には、僕の言葉は、ほとんど丁寧語で語られます。
    言葉の使い分けだけでなく、僕が声を荒げたり、感情的な物言いをしたりするところを見かけた人は、まずいないだろうと思います。
    僕は決して誉めてほしいなどと思って、こんなことを書き連ねているわけではありません。
     
    実は、僕が物心ついてから、僕の周りには、すぐ感情的になり、声を荒げ、威嚇し、場合によっては暴力に訴えるタイプの人間がいました。
    そういう自己表現が、わがままと甘えと自己中心主義の表れ以外のなにものでもないことは、たとえ幼心でもはっきり見てとれるものです。
    僕の身の周りのそうした過剰な自己表現が、僕に一種のトラウマ(心理的外傷)を与え、それがいまだに癒えていないように思います。
    だから、今でもたとえそれが教育的効果や愛国心の高揚を意図したものであれ、大声で怒鳴る、感情を露わにするというのは、僕にはしたくてもできない、
    というのが本当のところです。これはもはや生理的な問題といっていいでしょう。周りで同じようなことが起こると、僕は精神的にかなり
    凹んでしまいます。
     
    今日、3年生の「高級日語2」の授業で、「フェスティナ・レンテ(Festina lente)」という外山滋比古氏の随筆を学び、
    その中に、「イギリス人は、大声でしゃべると、知恵が飛んで行ってしまう。そういって、国会議事堂をあえて小さくして、わめかなくてもよいようにした」
    という一文に出会いました。実は今日のお話は、それに触発されたものです。
     
    最近では(いやいつの世もいるのでしょうが)、TVやネット上でも、自分の主張のみが100%正しくて、他者の意見に耳を貸さないもの、
    それを煽りたてる者がなぜか目につく気がします。
     
    そして自分のみが100%正しいと思って感情を露わにしている者は、往々にしてそんな自分に陶酔して、そのような振る舞いがまわりから
    どのように見られているのかさえ見失ってしまっているのを目にします。
    その真情においては極めて正当なものを含んでいながら、周りには「怒っている」という事実だけが強調され、
    なぜ「怒っている」のかが、二の次、三の次になってしまうという本末転倒の戯曲的状況に陥ることさえあります。
     
    できるだけ冷静に、理知的に、静かに、きれいな言葉で語ること。
    僕にとってはトラウマが与えてくれた対人態度ですが、最近は少しそれに積極的意味を与えてやってもいいかなと思っています。
     
    そんな態度では、相手になめられる、あるいはいい子ぶりっこにすぎない、という反論には、
    相手は野蛮人でも、動物でもない、教育も相互理解も、鞭や餌付けで達成されるものではない、とお答えするにとどめておきたいと思います。
     
    今日もちょっと重いネタで、すみませんでした>< 僕、本日なおも未熟者、です。

    本日、未熟者 ウタちかYouTubeバージョン

     今日の「ウタちか」はYouTubeモードである。
     
    さて、僕の場合「ウタは好きか?」と聞かれれば、もちろん「大好きさ」と答えたいところなんだけど…><
    これにはいくつかの留保条件が付きます。
     
    カラオケが流行りはじめ(もう30年近くになるけど、日本の場合)、歌好き=自分でも歌える、という定式が一般化してしまったために、
    「ウタが好き」かと問われると、僕の脳裏に一瞬の躊躇がよぎる。この「定式」、僕にとって実に困った存在なのである。
    というわけで、正確を期せば「僕は音痴ですから歌うのはダメですが、歌を聴くのは大好きです。」ということになります。
     
    じゃ、どんな歌が好きですか?と聞かれることもあるのだけど、
    これがまた答えにくい質問で…ほんと困ってしまう。
    何事にもTPOというものがある、と僕は思う。
    いつ、どんな状況で聴くかによって、聴きたい曲が当然違う。
    もちろん誰だってそうじゃないかと思うけど。
    だから急にそんなこと聞かれても…と僕は思わず戸惑ってしまうことが多い。
    それでも、これまで「ウタちか」で紹介した曲は、
    その時の僕の精神状況を反映した選曲になっているので、
    よかったらその時の僕の気分、推理してみてください(笑)。
     
    それに、僕のよく聴く曲、知ってる曲はあまり多くはなくて、もっぱら「同じ曲を繰り返し」派です。
    「この歌知ってる?」と聞かれて「うん」と答えた経験も、ホントに数えるほどしかない。
    流行ってる曲ならあれもこれも、という聴き方なんて僕には到底できないようです…><。
    どうやら、ウタにせよ、本にせよ、人付き合いにせよ、僕は少し引っ込み思案の傾向がある、のかもしれない。
    むしろ、ほんの少しでいいから、大切なものをしっかりとそばにおいておきたい、と
    僕はこっそり、かつ頑なにそう思っている。
     
    それでも「ウタ好き」って言っていい?
     
    今日の「ウタちか」は、それでも比較的最近に、僕のお気に入りソングに加わった、元気になりたいときに聴く曲の一つです。
      
       
     
    【今日のウタちか】
    「本日、未熟者」
    唄:中島みゆき
     
    27 April

    森の生活 春から夏へ

    午前中洗濯をすませて、ひと段落。
    お昼過ぎに南門まででかける。例によって、頭に浮かぶ昼食イメージは「揚げ卵トッピング蘭州ラーメン」。
    のんびり散歩しながら歩いていると学生食堂付近で2年生4人と出会う。
    4人から、昨日の発表会の感想を聞かせてもらえた(いろいろと参考になりました。皆さん、どうもありがとうね^^)。
    僕たちは大きなクスノキの下で、立ち話をしていたのだが、その間にも、頭上からひっきりなしにクスノキの小さなタネが
    降り注いできてパラパラと音をたてた。
    この時期は、プラタナスの種子も綿毛のように宙を舞い、小さな生命がキャンパス中に溢れている感じがする。
    広葉樹が枝を伸ばし、その葉陰が道に木漏れ日を浮き立たせている。
    僕の住む場所が、森の中であることを実感する季節である。
     
    デジカメがまだ戻ってこないので、食後、近くの店で「珍珠奶茶」(真珠大のグミのようなものを入れたミルクティー)を買って、
    それを飲みながら、30分ほどポテポテと散歩をして家に戻る。そのぐらいならまだ汗ばむほどではない、散歩日和の午後。
    武漢のいちばん過ごしやすい時期かもしれない。
    5月にはいると、武漢はもう「夏」なのだそうである。
     
    今週後半は、GW。
    政府通達で、今年からGWは1週間から3日に縮減。4日目の日曜日は金曜日と振り替えで勤務日だが、
    もともと金曜日は授業のない日なので、実質4連休。はぁ…><(ため息の理由は僕の学生なら、みんな知っている…)
    だから金曜日の振り替えで日曜の夜は「朗読会」をすることに。
    学生たちはみんな喜んでくれているので、それが僕にはとてもうれしい。
    「朗読会」は、「博士の愛した数式」の続き。
     
    さあ、今日の午後は、本棚の整理、部屋の整頓。それがすんだら久しぶりに武商量販まで買い出しにでも行ってこようかな。
     

    卒論発表会の日

    昨日は、明け方5時頃、蚊に右手人差し指の付け根あたりを刺されたうえ、
    ぷぅぅぅぅんという羽音を耳元で立てられ続けたため、蚊に対する全人類的敵愾心(笑)を持って目覚めてしまった。
    寝不足だったのである。
    7時には教学楼に着いて、8時開始の卒論発表会に備える。
    卒論発表会そのものについては、僕の「ま、いいか」的疎漏もあって、個人的には反省すべき点も多かったが、
    全体としては、まず大きな滞りもなく、無事に済んだ。
    ただし、こういう会の常として、なかなかスケジュール通りには進行せず、最後の総評、成績上位者表彰、閉会挨拶を
    終えたときには、すでに日も暮れかかる18時になっていた。
    関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。
    今回の反省点をもとに、次の催しをもっとよいものにしていきましょう
     
    そのあと、反省会を兼ねた宴席となったが、さすがに寝不足がここにきて堪えた。中国の白酒は効くのである。
    夜9時過ぎに帰宅をして、着替えるのももどかしく、ベッドに。
    すべきことは残っていたので、いったん10時に起きあがったが、睡魔の誘いには勝てず、あえなくダウン。
     
    目が覚めたら、もう今朝の8時。つまり、まる10時間も爆睡していたことになる。
    お粥が出来上がるまでの間に、熱いシャワーを浴びる。濡れた髪を拭きつつ、ハフハフとお粥を2杯半食べたら
    気分がすっきりした。
    そして今、食後のコーヒーを飲みながら、ぼーっとしている日曜日の午前である。
     
    さて、今日は何しようかな?
    26 April

    異文化再認識の夜

    日付が変わったので、もう今日のことになるが、
    いよいよ「今日」、2004級(2004年入学という意味。現4年生)卒業論文発表会が開かれる。
    中国に来て、こういうイベントに一度でもかかわってみると、中日の文化的な違いというものがはっきりと分かる。
     
    日本の場合、こういう学校行事は年間計画に組み込まれているし、例年ほぼ同じ時期に同じ形式で行われるので、
    だいたいいつごろになったら、どういうことをすればいいのか予測を立てやすい。
    相当綿密なスケジュールがすでに半年以上も前から立てられ、
    それに沿って〇月▽日までにこれをして…□日までにはあれを、という具合に、
    蟻の這い出る隙間も、水の漏れるひび割れもない計画が着々と遂行される。
    そして準備期間全体を通して均等にエネルギーが配分されるのである。
    だから、イベント本番は、100%準備ができたことへの確認作業、といった感じになることさえある。
    いわば完璧にできて当たり前というという感じ…。
     
    これに対して、中国の場合は、大枠のみを決めておいて、実際にイベント準備に取りかかるのは、
    本番が間近に迫り、時間的にはもう崖っぷち(と日本人の目に映るころ)になってからである。
    しかし、この短い期間に中国人が一気呵成にコトを仕上げてしまう、そのエネルギーの集約力は、
    いつ見てもすさまじい。
    いつになったら本格的に計画に着手するのかとハラハライライラを募らせ、それだけで
    もう精神的エネルギーを使い果たしてしまっている日本人をしり目にガンガン働くのである。
    そして当日には涼しい顔をして「どうです。完璧でしょ」と来る。ここまでくればもう拍手はくしゅ!しかない。
     
    今回も、2年生・3年生が一気に裏方を受け持ってくれて、あっという間に準備が整ってしまう、はず。
    今も2年生のZ君が、一生懸命PowerPointで進行表をを作成してくれている。
     
    こうした文化の違い、どちらがいい悪いの問題ではないだろう。
    むしろ、どちらにもメリット・デメリットがあることを認識したうえで、
    自分なりのスタンスを確立することが大切なのだ、と思う。
     
    しかし発表ぎりぎりまでレジュメ・論文が仕上がらず、今頃ガンガン書いてる4年生がいたら、
    これはちと困ったものである。
     
    肝心の主役たち、ほんとに大丈夫かなぁ?と一抹の不安を胸によぎらせつつ、
    今宵も静かに更けてゆくのでありました。
     
    25 April

    海辺の街のお話(第9回)

     真夜中に、僕はほとんど唐突に目を覚ました。
     何か救いようのないひどい夢を繰り返し見続けていたのかもしれない。眠っている間に、まるで深く暗い闇の底からじわじわと氷のように冷たい水がしみ上がってきて、それが僕という存在から執拗に熱を奪っていくような気がした。しかし、目覚めてみるとそれらしい夢の記憶はかけら一つ見いだせなかった。ただ、ひどくうなされて、しまいには奥歯をくいしばり息をつめて何かに耐えていた。ベッドの上に上半身を起して顔をなでると、顎の筋肉がこわばり少し頭痛がした。部屋の中は灯り一つなかったが、窓から差し込む月明かりが、白すぎる壁と高い天井を薄ぼんやりと浮かび上がらせていた。枕もとの感応式の目覚まし時計を指先で軽く触れると、緑の発光色でAM03:45の文字が浮かび上がった。
     僕は軽く頭を振って、ベッドを下りた。この国では生水が飲めないので、18リットル入りのミネラルウォーターを上から差し込んだ飲水器が必需品だった。僕は飲水器のコックをひねってコーヒーカップに水を半分注ぎ、ゆっくりとそれを飲んだ。飲み終えると、僕は意味もなく深いため息をついた。カップをテーブルの上に置くと、カタリと乾いた高い音が部屋中に響いた。それはぞくっとするほどうつろな響きだった。
     ベッドの脇に戻ってカーテンを少し開き窓を開けると、空にはまだいくつもの星が光り、西に傾きかけた上弦の月が僕の顔を照らした。少し湿り気のある冷やかな夜風が顔にふれた。そのとき、自分の口から無意識に「幸(さち)」という言葉が漏れたことに僕はびっくりした。それが果して本当に自分の口から洩れた言葉だったのか、と一瞬僕か自分の耳を疑った。
     それは「少女」の名前だった。僕はその時どうして幸の名前を呼んだのか、自分でもその理由がよくわからなかったからだ。
     「幸」――。
     幸のことを「少女」と呼ぶのは、実はあまり正当なことではないかもしれないし、幸がそのことを知れば、僕がときどき口にする意味のよくわからない冗談の一つかと思って苦笑するに違いなかった。なぜなら幸は、そのときすでに26歳になっていて、正真正銘の「少女」たちからは陰で「オバサン」と呼ばれるにふさわしい年齢であったのだから。幸自身、しばしば実際よりもかなり幼く見られることを、けっこう気にしていたらしく、ときには(彼女にしては珍しく)少しだけ眉を寄せて「私って、そんなに子供っぽいんでしょうか」と僕に問いかけることもあった。僕にすれば、そうした見た目よりも、彼女の内面から醸し出される「無垢」な精神といったものが、実際の年よりも彼女を幼く見せているように思えた。もちろん僕はそんなことを一度も幸に向って言ったことはなかったけれど。あるいは、僕の顔を照らすあの月明かりと幸の無垢との間に、何か通じ合うものがあったのかもしれない、と今になって思う。
     僕はその何かを確かめるかのように、もう一度ゆっくりと口に上らせてみた…「幸」。
     僕は、そのまま朝が近づくまで、ゆるやかに夜の底をすべっていく月明かりと初夏の星座に見入っていた。
     
    24 April

    忙中めでたきことありし

    なぜか自分ではよくわからないが、よく人から「忙しそうですね」と声をかけられる。
    実はそんなことはない。第一、そんなにいつも忙しければ、毎日ブログを更新していられるわけもない。
     
    そんなふうに思われるのは、教研室で僕をつかまえることができないせいなのかな。
    教研室には本を置くスペースが少ないし、ネットを使うのにも少し不便(パソコンが部屋に2台しかない)なので、
    授業のとき以外は、たいてい自分の部屋に戻っているだけのことなんだけど。
    それとも僕の顔に「忙しい」って油性マジックで書いてあるのかなぁ…><
    遠慮なく、僕をこき使ってくださいね。僕の趣味は「お仕事」だから、何の心配もいりません。
     
    しかし、今日は、というかこの週末にかけては、
    すっごく忙しい!
    卒論発表会が、雪だるま式に大がかりになっていく感じでなのである。
    しかも半分は自らまいたタネなので、誰かに愚痴を洩らすわけにもいかず、おでこにでっかく「僕は忙しい」の護符を貼って走り回っている。
    予想したとおり、卒論発表用のレジュメは締切終了後も、パラパラとeメールで届く。中には、今ごろになって「すみません、修正しましたので、
    差し替えてください」というものまで。みんなのレジュメの形式(ポイント数や字体などの格式)を最低限統一する必要もあり、なかなか面倒なのである。
    頼むよー、みんな。ちゃんと締め切り守ってくれないと、裏方さんたちは、予稿集や進行表を作ったりするのに、大変なんだからね><
    裏方棟梁の僕としては、ここでひと言、ぶーぶー、苦言を呈しておかざるをえないのである。どうかその点よろしく。
    今日はこれから、予稿集の編集作業の続きが待っている。なるべくいいモノを作るから、みんなもしっかり頑張ってくださいねー。
     
    明日は、
    午前9:00  指導担当学生の論文チェック
    午前10:00 発表会裏方会議 
    午後2:00  学院教職員会議 
    午後7:00  朗読会 (小川洋子『博士の愛した数式』)
    明後日は、
    午前8:00~午後5:00 卒業論文発表会
     
    ああ、これではブログを更新している時間なんて、とてもとても><
    …といいながら
    こうやってしっかり、ちゃっかり更新している自分って、いったい何モノ!?
     
     
    ところでめでたい話も一つ。僕の周りで中国の人口が2人増えました。
    昨日同僚のJ老師に男児、今日L老師に女児誕生で。
    何はともあれ
    恭喜恭喜
     
     

    夜半の月に寄せて 今日のウタちか

     
    最近はすっかり「ウタちか」がご無沙汰になっていました。へへ、どうもどうも申し訳ありません。
    さて、先週の「朗読会」は詩の朗読に初めてチャレンジ、だったのですが、実は日本の近現代詩の中から、
    あくまでも僕の独断と偏見(←これは要するに「好み」という意味です)で作品を選んで朗読を行いました。
    荒城の月」もそのひとつです。
     
    ところで、今日は、2年生の「日本史概説」があり、その授業内容が平安末期から鎌倉幕府成立まででした。
    主に保元の乱、平治の乱に端を発する、源平両家の相争う戦乱の時代についてお話をしました。
     
    いわゆる「平家物語」の世界です。
    このお話は平清盛と後白河天皇(のち上皇)、そして平義朝の遺児である頼朝・義経兄弟を中心に展開していきます。
    驕れる者も久しからず ただ春の夢の如し 猛き者も終には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ
    という無常観に貫かれた、とてもすばらしい古典文学作品です。
    この争いで、勝者の側であったはずの源義経も最後には兄頼朝に攻められ、
    繁栄を誇った奥州藤原氏もろともに滅ぼされてしまいます。
    まさに栄華とは夢幻のようなもの。
     
    江戸期の俳人松尾芭蕉も「奥の細道」に奥州藤原氏の跡を訪(とぶら)い
    夏草や兵どもが夢のあと」という名句を残しています。
     
    【今週のウタちか】
    荒城の月
    土井晩翠 作詞
    瀧 廉太郎 作曲

    春高楼の 花の宴  巡る盃 かげさして
    千代の松が技 わけ出でし  昔の光 いまいずこ

    秋陣営の 霜の色  鳴きゆく雁の 数見せて
    植うる剣に 照りそいし  昔の光 いまいずこ

    いま荒城の 夜半の月  替らぬ光 誰がためぞ
    垣に残るは ただ葛  松に歌うは ただ嵐

    天上影は 替らねど  栄枯は移る 世の姿
    写さんとてか 今もなお  鳴呼荒城の 夜半の月
     
    ***
     
    今夜は、僕の部屋の窓のカーテンの隙間からも
    夜半の月が朧(おぼろ)に浮かんで見えました。
    明日も晴れるといいですね。
    おやすみなさい。

    23 April

    言の葉 諸刃(コトノハ モロハ)

    かつて日本には「言霊(ことだま)」という思想が存在した。人の体内から紡ぎ出される「言の葉」には自ずから霊力が宿るという考え方である。
    だから言葉には本来形もないし重さも持たないものでありながら、人の心の傷を癒すこともできれば、逆に深く人の心を傷つけることもできる。
    言の葉は諸刃の剣のようなものだ。
    目には見えないだけに、気がつかないうちに、何気ない言葉で周りの誰かを僕が傷つけたりはしていないか、と気にかかることもある。
    だからこそ大事にしたい「豊かな心、きれいな言葉」。きれいな言葉、美(うま)し言葉は「幸(さきわい)」をもたらすという。
     
    ところでこの数日間に、2回「ずるい」という言葉を僕は投げかけられてしまった。相手も局面もまったく異なるけれど、同じ言葉だった。
    その結果、正直に言ってかなり僕はショックを受けた。
    相手にとっては本当に何気ないひと言だったかもしれないけれど、「ずるい」という言葉は僕の行動基準、価値基準において、
    もっとも許すべからざるふるまいや態度に向けられた非難の言葉の一つである。
    だから、そう言われるとまず僕はびっくりする。僕は相手に対して、そう非難されだけの、相手にとって許しがたいふるまいや態度をとったのだろうか、と。
    しかし、いくら考えてみても、思い当たる節がなくて、あるいは思い当たったとしても僕にしてみるとかなり見当はずれの非難であるように思えて、
    呆然とする。そして、僕は言葉を失う…。
     
    似た言葉でも、
    るい」「るい」「るい」はいいけれど、「るい」「るい」「るい」「るい」は、人の心をぐさりと刺す刃のような言葉になることが多い。
    だから、そういう言葉を使う前に、ちょっと考えてみてほしい。本当に相手の心を刺し貫いても構わない確信をもって、いわば「最後の言葉」として
    それを使おうとするのか、と。
     
    言葉というのは、コミュニケーションに欠かせないとても便利な道具だけれど、本当はとてもこわくて扱いにくい道具でもあると、僕はつくづく思う。
    22 April

    CASIO杯卒論コンクール…って、え?

    「海辺の街のお話」を書きはじめてから、もう何人もの方から「あれ、実話ですか?」と尋ねられた。
    「実話でしょ」と確信をもって聞いて下さる方もいる。何度も言うけど、あれ
    フィクション=虚構です><!
    確かに、登場人物の「僕」には僕の一面が投影されていないわけではないし、実話に近いお話も含まれている、ってことは認めるけど。
    けれど「ヒカリ」にしても、初回に登場した「少女」にしても、特定の個人がいるわけではないし、彼らの間に起きる
    いろいろなできごと、事件は、まったくのつくり事です。決して「虚実皮膜」論を地で行ってるわけでじゃないんだからね。
    あるいは、僕の人生のあの分岐点で左に行かなかったら、そしてまたあるいは、そこで道を逸れなかったら、もしかして
    そういう人生もあったかもしれない、そのもう一つの未発の人生においては、あなたこそが「ヒカリ」であったかもしれない、
    という程度のお話だと思って読んでいただければ、とてもうれしいです。
    ~~閑話休題 CoffeeBreakコーヒー~~
    ところで今日は4年生から次々メールが到着しています。
    今週土曜日が卒論発表会、その発表要旨の提出締め切りが明日であるため。といっても現時点でまだ11通ですが。
    で、その発表会について。少し事情が変わってきました。
    実は、今回の卒論発表会から、卡西欧(上海)贸易有限公司さんが全面的にバックアップしてくださることになりましたので。
    もちろん厳正な審査が行われます。成績優秀者には副賞も授与されますから、どうかがんばって、質の高い発表となるよう、
    しっかりと準備を進めてほしいと思います。…ということで、また話が「審査ネタ」になってしまいましたが(笑)。
     
    今日は、これから発表会関係の準備でアタフタしたいと思います。
    ひょえー、時間がどんどん過ぎていくー><。ではでは。

    我们爱CCNU

    写真がとれない日が続くので、今までの写真をとりあえず整理していたら、載せる機会を逃していた
    一連のフォトが出てきました。せっかくなので、ここで載せておくことにします。
     
    さて、僕の勤務する大学の体育館前に不思議な形をしたモニュメントがあるんですが、
    それがいったい何をシンボライズ(symbolize)しているのか、実はずっと疑問に思っていました。
     DSCF2024 (2)
    ある日、もっとも説得力ありそうな「解釈」を耳にしたので、それを確かめるために、その日のうちにさっそく写真に撮ってみたのでした。
    僕の大学の正式名称を英語表記し、その頭文字を並べるとCCNUとなります。僕が聞いたその説によると、見る角度によって、このモニュメントは
    ちゃんと「c」「c」「n」「u」に見えるんだとか…。へぇ。
     DSCF0134DSCF0134DSCF0136DSCF0135
    …おお、確かにそのとおりでありました。
    我们爱CCNU
    の完成、ですっ!星五つ、いただきましたっ!!
     
    21 April

    綿毛と枇杷の季節

    今日は、朝から久しぶりの好天に恵まれ、青空が広がった。
     
    午前中3年生の授業では、進度調整のためもあって、学生たちと黒澤明監督「乱」鑑賞。
    学生たちにとっては、シェイクスピア「リア王」を思わせる悲劇的なプロットに、重苦しい、救いようのなさが
    強く印象に残ったようだ。とりわけ最後のシーンで、盲目の鶴丸が廃墟となった城の石垣から、手にしていた
    巻物を落としてしまい、誰も目にすることのない場所で、ほどけた巻物から仏の姿が浮かび上がったことについて、
    「仏からも見放された」という解釈をした学生もいて、面白かった。これに対して、こうした愛憎の「乱」の果てに、
    ちっぽけな人間の思惑を大きく超えたところで、朽ちていく人間のすべてを救済するのが「仏」なのだという
    僕の解釈を述べてはみたが、うまく学生に伝わったかどうかは、わからない(笑)。
     
    午後2時からは卒論指導。今日はZさん。日本の労働環境における女性の地位をめぐる問題。
    その後、教研室で、J君の卒論初稿のチェック。J君なりにがんばって書いているので、チェックも其れなりに厳しく。
    朱ペンで初稿は真っ赤になった。J君、もうひと頑張りしてもらわないといけません。
     
    今日は外を歩いていても、デジカメが使えないので、風景を記録に残すことができなくて残念。
    青空の下、若緑の葉を茂らせた篠懸(すずかけ/プラタナス)の木から綿毛が絶え間なく舞っていた。
    まるで褐色の粉雪のように。
    もっとも見た目にはロマンチックだが、綿毛を浴びながら歩いていると、目が痒くなるわ、くしゃみが出るわ…
    これじゃ花粉症と変わらない。
     
    今晩は久しぶりに肉野菜炒めでもしようと市場に立ち寄る。
    枇杷が並んでいたので、ああ、もうそんな季節かと思う。
    「おばちゃん、これいくら?」
    「8元」
    「…」
    でも、今日は青空がすてきだったので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買っちゃうか…?(たった8元で大げさな、かな 笑)。
     
    よし 枇杷を買ってルンルン おうちに帰ろう 綿毛の舞う道を
     

    審査後の雑感

    ここ数日間で、立て続けに3件の審査に関わった。
    先日の配音比賽以来、審査を求められる機会が続いている感じがする。
    今回は、大学院2次試験、K大学交換留学生選抜、スピーチコンテスト学内選考の3件である。
     
    いずれの審査でもそうだが、審査にはさまざまな項目があり、それらをすべて点数化して評価を行うことになる。
    誰もが納得してくれる客観的基準が必要だからだ。
    たとえば、発音、アクセント、日本語表現の正確さ・豊かさ、論理構成、論理展開の明晰さなどなど。
    たとえば、それらをそれぞれ10点満点で評価してみる。
    しかし、いくら客観的に誠実に評価しようとしたところで、本当にこの数字でいいのか、
    それらの総計が学生の等身大の評価になっているのか、という不安がいつでも付きまとう。
    その結果が、学生の将来にそのままつながる審査であればなおさらだ。
     
    ときには、数字では表しがたいものもある。たとえば、その学生の日頃の努力であったり、まだ目に見えて表れてはいないが
    静かに成熟し始めている能力、可能性などといったもの。それらをどの程度加味すればいいのか…、と思いは千々に乱れる。
     
    あるいは審査に通った場合と惜しくもそうでなかった場合とで、その学生にどのような教育的効果があるのか、
    その後をどのようにケアするのか、などなどと。
     
    もちろん「結果」がすべてではない。その努力の「過程」が大切だと思う。それをおざなりの慰めにしないためにも、
    審査にあたる者はつねに、心の水面(みなも)を波立たせることなく、考えて、考えて、考え抜かないといけない。
    それが果敢にチャレンジしてくれた学生への僕なりの精いっぱいの誠意、といって許してもらえるだろうか…。
     
    できるなら、いかなるときも、誠実に、謙虚に、学生たちと向かい合いたいと思う、静かな夜。
    いつやんでしまったのか、雨の音はもう聞こえない。
     
    【こっそり蛇足】2008-04-22 0:33
    哀しいけど「思い」は伝わらないこともある。それでも僕なりに精一杯みんなを応援し続けよう。
    星の瞬きも、風のそよぎも、決して何かの対価を求めて存在しているわけではないのだから。
    ありのままに生きよう、素直に生きよう
    僕は僕でしかない。
     
    20 April

    海辺の街のお話(第8回)

     趙誠とそのようなやり取りがあってから間もなく、僕がたまたま院生合同研究室で調べ物をしていた時のことだ。ちょうど夕暮れの食事どきで、他の院生はみんな出払っているか帰宅してしまったかのどちらかで、研究室には僕ひとりしかいなかった。僕は後ろでドアがそっと開く音を聞いたが、他の院生の誰かが戻ってきたのか、と思って、振り返りもせずに髭文字のドイツ語とにらめっこをしていた。足音が近づいてきて、僕のそばでその音が止まり、僕をじっと見ている気配を感じて、僕は顔をあげた。それがヒカリだった。
    「先輩?あの、はじめまして」
    とヒカリは、ペコりを頭を下げた。
    「え?」
    「私、先輩のいらっしゃる予備校で今月からアルバイト講師をやらせてもらうことになりました緒川ヒカリと申します。」
    僕は読みかけていたページに栞をはさんで原書を閉じて、こんにちは、と言った。
    「そう。よろしくね。で、あなたは何年生?うちの学部?」
    「私、今文学部の1年生です。中学国語を担当させていただくことになりました。今日、主任の先生から、高校英語担当に同じ学校の院生の方がいらっしゃるから、と教えていただいたので、ご挨拶にうかがったんです。前もってご連絡も差し上げずに失礼かとは思いましたけど…私、思いついたらじっとしていられない性格なので。」
     ヒカリの、まったく悪びれるところのない、開けっぴろげでさっぱりした感じに、僕は好感をもった。
    「いいよ。別に大したことしてたわけじゃないし」
    「先輩、今何を読んでいらっしゃったんですか?」
    「ああ、これ?…遠い、とおい西の国の、傷ついたライオンの哀しい物語」
    「なんだかすごくロマンチックなお話なんですね」
    「はは、僕にとってはね」 実のところ、栞をはさんだ古ぼけた革表紙の本はK.ブルンチュリ著「スイス国家学」という、文学とは全く縁遠いものであった。近隣を大国に囲まれて傭兵国家として生きざるを得なかったスイス村落共同体の歴史の部分を読んでいたところであったから、決して僕はでたらめを言ったわけではなかったけれど。
     
     その日を境に、ヒカリはよく僕のところにやってくるようになった。たいていは事前に僕の都合を聞くこともなくやってくるのだが、僕が彼女の話し相手をする暇のない時に訪ねて来ることはほとんどなかった。いつだったか、そのことを不思議に思って、ヒカリに尋ねてみたことがある。すると、ヒカリは笑って言った。
    「センパイ、私だって神様じゃないですから、センパイの都合が分かるわけないでしょ。でも、来て入口のところでセンパイの背中見たらね、『休憩中』とか『ただいま取り込み中』とか大きな張り紙が貼ってあるの。他の人には見えないかもしれないけど。でも、なんとなくわかるの。だから『面会謝絶中』のときなんかは、そのままくるっと向きかえて帰っちゃう」
     それ以来、僕はヒカリに100%の信頼を寄せるようになった。そして、ヒカリが僕のところにやってきた時は、僕は「休憩中」なのであり、ヒカリの話を聴くべき時間なのだと思うことにした。
     

    誠意のリレー

    昨日の夜、ネット上で次のような記事を読んで、いろいろと考えさせられた。今日は少し真面目に(いつだって真面目なつもりだけど)、この記事に含まれるいくつかの論点についてお話ししたいと思います。
    中国各地で反仏デモ…聖火リレー妨害に反発のネット利用者  (4月19日19時23分配信 読売新聞)
     【北京=佐伯聡士】①北京五輪聖火リレーへの妨害に憤る中国のインターネット利用者の仏大手スーパー「カルフール」不買運動が、大衆の街頭抗議行動に発展してきた
     安徽省や山東省のカルフール前で18日にデモ行進があったと報じられたほか、19日は北京のフランス大使館前や、中部・湖北省武漢市などでも反仏デモが起きた。
     胡錦濤政権は、2005年4月の反日デモのように、②無秩序な破壊につながる大規模デモを全力で封じ込める構えだ
     目撃者によると、19日午前、仏大使館前の道路で、「チベットは中国のもの」と中国語や仏語で書かれたステッカーを車体にはった車両約15台がクラクションを鳴らしながら走った。
     中国国旗を窓から振り、国歌を流した車両もあった。大使館には徒歩で抗議に訪れた大学生もいたという。
     大使館前では公安車両30台以上が警備にあたったほか、周辺の武装警察官も増強され、不測の事態に備えた。関係者によると、北京市内のカルフール数店舗でも小規模なデモが起きたという。③中国のデモは許可制だが、一連のデモが許可されたかどうかは不明。④平和的に行われたため、公安当局も黙認したとみられる。
     19日に⑤湖北省武漢市内で抗議デモを計画していた男性によると、公安当局から18日、「愛国心は理解するが、安全上の理由から許可できない」と告げられ、携帯メールなどで中止通知を出した
     だが、⑥歯止めがかからず、AFP通信は19日、市中心部のカルフール前に数百人が集まり、抗議デモを行ったと伝えた。最後は1000人以上の規模に膨れあがったとの情報もある。香港報道では、広東省深セン市でもデモがあったという。(センは土ヘンに「川」)
     中国紙によると、18日には、山東省青島市や安徽省合肥市のカルフール前でも抗議デモが起きた。国営新華社通信は19日、北京など5都市でデモがあったと英文で伝えた。
     ⑦北京五輪を8月に控え、当局は無秩序な抗議デモの拡大を懸念している。最近の株暴落で人々の不満が渦巻いているほか、物価高が失業者や民工(出稼ぎ労働者)ら社会的弱者の生活を圧迫している。実際、05年の反日デモには民工も「愛国無罪」を叫んで参加、混乱が拡大した。中国筋は「反仏デモが反政府デモになりかねない」と警戒する。
     中国メディアが理性的な対応を求めたのに続き、駐中国フランス大使も18日、記者会見で不買運動の抑制を求めたが、抗議は簡単に収まりそうにない。
    論点Ⅰ→①
     今回の動きの発端は、中国の西蔵自治区の政治問題(中国中央政府にとっては「内政問題」であるが、海外メディアはこれを中国の「人権問題」としてとらえていることに注意)にあることは明らかです。決して中国国内の一部の論調にあるような「中国が強くなることを恐れてリレーを妨害した」わけではありません(中国が健全かつ調和のとれた強国となって誰が恐れる必要があるでしょうか。このような言い回しは、論点の意図的すり替えにすぎません)。こうした「政治問題」とは本来かかわりあいのないオリンピックを暴力的に妨害する行為は許されるべきではない、と僕は思う。フランス国内で聖火リレーを妨害した「個人」は、当然フランス国内法に照らして処罰されるべきであろう。一方、フランス系資本とはいえ、中国国内に根を張って他の国内スパート同じように経営している「家楽福」(カルフール)という民間企業を示威行動によって妨害するということも、本来の政治問題とかけ離れたところで行おうとするものであって、19世紀的なアナクロニズムだと僕は思う。どちらも、「とんだとばっちりを受けた」という点では同じである。この点、フランス大使館に直接抗議に出向いた学生こそ政治的にもっともピントの合った行動であった。もっとも大学当局がそのような政治行動を学生に揺するかどうかは別問題。
     
    論点Ⅱ→②③⑦
     ところで一般に「デモ行進」は、現代法治国家のにおいては「表現の自由」の一形式として基本的人権の一つに挙げられる。したがって、適切な手順を踏んで当局に届け出れば、正当な理由なしに当局はこれを禁止してはならないことになっている。これを「届出制」という。一方、中国の場合、デモを許可するか否かは公安の裁量にゆだねられる「許可制」が採られている。その意味では中国では「表現の自由」に対する制約の幅が大きい。では、なぜ中国では、デモ行進について人権に対する制約幅の大きい「許可制」が採られているのか?その点は、論点Ⅲをご参照ください。
     
    論点Ⅲ→③⑤
     湖北省武漢市(僕がすんでいる街です。昨日は少なくとも僕の周辺で大きな政治的運動が目につくこともなく、実に平穏無事な一日でした)で抗議デモが呼びかけられ、それが公安当局から「安全上の理由」を根拠として禁止された、という点です。ここにいう「安全上の理由」とは何でしょうか?こういうあいまいな表現は、たとえ「許可制」のもとでも、人権制限の「正当な理由」には当たりません。明確にすべきは、誰のどのような安全が脅かされるのか、ということです。抗議デモ参加の安全が脅かされる、ということは、まさかないでしょう。許可された合法的な抗議デモに参加して身の安全が脅かされるのなら、もはや法治国家とは言えないからです。とすれば、抗議デモによって、それ以外の者の安全が脅かされる恐れがあった、ということを意味します。理性的に自分たちの声を公にすべきデモ行進中に、「無秩序な破壊」が行われる恐れがある、と判断された、ということです。もちろん「無秩序な破壊」それ自体は中国国内刑法によって禁じられており、許される行為ではありません。そのようなことを行う者は、中国の法治国家性を否定し、中央政府・地方政府の面子を台無しにすることにほかならず、そのようなものは「愛国者ではない」ことになります。整然と理性的に抗議デモを行えるのならば、きちんと公安当局に主張して、粛然とデモは行われるべきだった、と僕は思う。それを公安の懸念に応じて、自ら中止を呼びかけたデモ計画者の態度は、ある種の自信のなさを示すものであり、法治国家中国の名誉を傷つけるものとならなかったか、と心配しています。
     
    論点Ⅳ→④⑥
     最後に、公安がデモ行進を禁止したのにデモ行為を行ったとあれば(許可が出たかどうか不明、ということも問題です。マスコミの取材不足か、公安の情報公開不足か、いずれかはわかりませんが、正当な権利行使に対する「決定」が誰にでもわかりやすく伝えられていない状態は民主国家中国にふさわしくありません)、これは違法な行為です。「愛国無罪」などという言い訳は、法治国家では認められない自己撞着です。国家が自ら定めた法を破る行為を愛国とは言えません。しかも、もしそれを公安が「黙認」したのだとすれば、国家そのものが法の執行を意図的に怠っていることになります。
     
    民主主義と法治主義を尊重する中国。その立場を貫く上で考えてみる論点は以上のようなものです。
     
    僕は、個人的には2008年北京オリンピックが盛大かつ成功裏に行われることを望んでいます。そのためには、中国と国際社会が互いに協調してさまざま困難を乗り越える柔軟な考え方を持ってほしいと思います。それと同時に、中国の人権問題が国際スタンダードの下で全面的に実現されるように祈っています。人間の価値は国境を越えて等しく扱われるものだと思うからです。
     
    これまでも何度も言ってきましたが、国によって、時代によって、世代によって、人によって、考え方や信念は異なります。それが当り前です。大切なのは、違うという事実を認めた上で議論をすることです。近視眼的に自らの利益につながらない行動や言論に対して「売国奴」呼ばわりすることは、極めて危険なことです。かつて、ある国は侵略戦争を行い、それに反対する者を「売国奴」「非国民」と呼んで口を封じました。それがどういう悲惨な歴史的教訓を生み出したかは、賢明な中国人なら、誰でも知っているはずです。同じ轍を踏むことのないよう、僕は祈るような気持ちで思っています。調和社会をめざす中国にとって、理性と思慮深いつつましさに勝る武器はないと信じています。
     
    以上、同じ時代、同じ世界に生きる者として連帯の心をこめて書き記しました。僕からあなたへ誠意のリレーがつながると信じて!
     
    今日もまた長々と書いてしまいました。
    これまたいつも言うことですが、僕の考えに勘違いや思慮不足があれば
    どうぞご指摘ご教示ください。僕自身そのご意見に納得できれば
    決してあらたむるに憚ることなはありません。どうぞ、よろしく、です。

     

    19 April

    rallentando

    今朝は5時50分起床。
    夜のうちにしかけておいた豆ごはん(米1.5合、エンドウ豆、こぶ茶、水、塩、みりん…全部適当に 笑)のスイッチを入れ、着替えをした後、
    近くの店で、熱干麺と茶葉卵をtake-outして来る。干麺とヨーグルト、コーヒーを朝食にする(何ともミスマッチな取り合わせですみません)。
    アツアツの豆ごはんをおにぎりにして、水筒にコーヒーを淹れ、デジカメ・三脚をもって、ピクニックに出発。6時50分にS君が宿舎の階段下まで
    迎えに来てくれていた。
     
    集合場所の大学北門には07:00ジャストに到着。しかし学生は2人しか来ていない。5分、10分と待つ間に五月雨式に集まってくる。全員集合は
    07:15。うーむ、これは時間厳守をもっと徹底させねば。時間(約束)厳守は大人の常識です。今後、遅れてきたやつには罰ゲームでもやらせるか。
     
    しかしピクニックに浮き立つ学生諸君はご機嫌そのもので、407番路線のバスに乗って東湖磨山景区へ。
    わいわいがやがやきゃっきゃきゃーきゃー景区内を歩き回り、山を登り、高台の高楼で古代の音色を聴く。詳細は本日付アルバムをご参照ください。
     

          DSCF0648 (2)DSCF0647 (2)DSCF0646 (2)

          とりあえずパノラマ写真風に
     
     
    正午みんな一緒に芝生に座ってお昼ご飯。
    今日のお昼ご飯は各自用意と昨夜遅くに連絡をもらって、早起きして作った豆ごはんおにぎりは、「食べる?」の一言で、ほんの数秒で目の前から消え、
    みんなのおなかの中に(笑)。とても美味しかった、と言ってもらえました。代わりにみんなから、パンやビスケット、リンゴをいただきました。へへ、猿蟹合戦みたい。
     
    しかし><…今日も張り切って写真を撮っていたら、90枚目にして、またもやデジカメがいかれてしまった(泣)。
    ううううううう。
    どうしよう、どうしよう、どうしよう?
    みたび故障のデジカメ、四度目の修理に出すべきか、いっそ一眼レフにでも買い替えるべきか…悩みどころである。
    凹んでしまった気分を押し隠しつつ(うそうそ、みんなとのピクニックとても楽しくて、デジカメの故障の慣れてしまって、ちっとも凹んでませんでしたよ)、
    みんなとゲームしたり、学生からインタビューを受けたり。いろいろ^^。
     
    学生A「先生、Bさんが先生に告白したいそうです」
    ぼく「は?」
    学生A「愛の告白です」
    ぼく「え?」
    学生B「私は海南出身ですから、まず方言でいいます。◎▽ΘΠ☆~!(意味不明)」
    ぼく「……(目が点)」
    学生B「日本語で言います。『先生、愛してますっ!』」
    ぼく「……(口をパクパク><)」
    学生B「じゃあ次は普通話で。『老师,我爱你!』きゃぁ~、恥ずかしい~!!」
    ぼく「…ぅええええええええええええええええええええええええええええっ!」
    学生A「先生、これ罰ゲームで~す。だから、ウソです~」
     
    これって、なんか、僕が「罰ゲーム」受けたような気がするんですけど…(朝、遅刻しなかったのにさ)><
     
    午後1時半。朝も早かったし、けっこう歩きつかれ遊び疲れ、驚かされ疲れ(←これは僕だけ^^)少し早めだけど学校に戻ることに。
    すると空が一転かき曇り、雨粒がぽたりぽたりと。
     
    2時半、宿舎に戻ってしばらくすると、雷鳴に続いて、空の底が抜けたような土砂降りになった。
    最近、武漢は妙に夕立が多い。
     
    そのあと、3年生2人、老師1人、2年生1人、と五月雨式に相談が舞い込む。合間を縫って、市場に買い物に行き、今日の夕食はクリームシチュー。
     
    ああ、どうせ今日はもうこれも写真に収めることはできないのだ><
     
    じゃ仕事しよう、っと。
    明日も午前中から仕事が入っているし。
     
    よっしゃー、がんばろー。
    と思いつつ、やはり体にたまった疲れには抗いがたい。
     
    今日のリズムは rallentand…
     少しずつ睡魔に引き寄せられていく宵の口。