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    31 May

    スパゲッティの日をふたりで

    昨日は、結局、ぎりぎりまでお仕事をして、6時半開始の卒業パーティに顔を出し、30分遅れの7時半から朗読会を行う、という
    綱渡りのような午後を過ごしました。もちろん、朗読会の世話役である学生会には、あらかじめ開始時間の変更を伝え、なるべく
    皆さんに迷惑をかけないようにいたしました。
     
    さて、今回の朗読会ですが、久しぶりの村上春樹作品で、短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と
    「スパゲッティの年」を朗読しました。人と人の出会いは、そしてとりわけ100パーセントの相手との出会いは、やはり「宇宙的な軌跡」なのだ、と
    僕も思う。このことは恋愛だけの問題ではない。たとえば、君(たち)と僕。ゴビ砂漠の中の一粒の砂粒同士が出会うように「宇宙的な軌跡」によって、
    2008年5月30日午後7時30分、僕の大学の3202教室で僕たちは出会ったのだ。僕と君も、きっと正真正銘の100パーセントの二人なのだ、と思う。
    もちろん、それは恋人としてではなく、教壇に立つものと席に着く者との関係としてだけど(笑)。だから、100パーセントの相手かどうか確かめるために、
    わざわざお休みしてもう一度めぐりあえる日を待つ必要なんてないですからね。試してみる必要なんてない。だから来週もまた聴きに来てね、みんな。
     
    「スパゲッティの年」。これは、僕個人がよく似た体験をしたので、思い入れの強い作品のひとつです。僕はある年の夏、ありとあらゆるものを失って、
    ひとりで街の中をひたすら歩きまわっていたことがあった。そしてまた、せっせと自分ひとりのためにスパゲッティーをゆで続けた冬も。
    だから、僕も結構上手にパスタを茹でることができます。たぶん、中国で出されるスパゲッティよりもこころもち固めの、つまりアルデンテの状態の
    パスタ料理が作れます。ただし、僕が作れるのはせいぜい2、3人分の量だけです。だって誰か人のためにパスタを茹でた経験はなかったのですから。
    と、そんな話をしたら、さっそく今日の夕方にWさんの予約が入りました。本を借りに来るついでに「パスタも食べたい~」のだそうです。歓迎歓迎。
    とりあえず「夏野菜のパスタ」「ポテトミックス野菜のサラダ」「フルーツヨーグルト」あたりでいかがでしょう?
    実を言うと、この一週間―僕の身近にいる人はみんな知ってるんですが―夏バテで食欲が落ちて、一人では食事する気にもならず、
    誰かを誘って食べてばかりいましたから、わざわざ食べに来てくれるなんて、本当にありがたいばかりなんです。どうか、他の皆さんもご遠慮なく。
    いつでもお待ちしております(「店主敬白」…笑)。
     
    来週は、ちょっと毛色の変わったところで、「僕らの日本国憲法・前文ほか」と題して、日本国憲法の一部を朗読します。憲法とか法律とか聞いただけで
    怖気づいてしまう人がいますが、けっこう、これって面白いと思うんです。というか、僕の本来の専門が「憲法学」ですから、きっと皆さんにも楽しんでもらえる、
    …と思う。ぜひぜひお越しください。
     
    30 May

    少しさびしい 少し哀しい

    今日はすでに30日(金曜日)。
    実は、バタバタといろいろな予定が入ってきている。
    もともとは、夜7時からの朗読会が確定事項で、さらに午後2時40分からの学院会議、そのあとでの日語系の会議が入った。
    それ以外には、4年生の卒論材料冊の必要事項への記載も行わないといけない。これは午前中の作業である。僕の中国語力では、
    講評などの記入は難しいので、院生に少し翻訳も頼まないといけないだろうから(><申し訳ない…)、けっこう時間を食いそうな予感、
    がする。
     
    ところで、昨日の午後、教学主任のL老師から、「会議後、全員で産休中のJ老師、L老師にお祝いを持って行きます」と伝えられた。
    上のスケジュールにも書いたとおり、夜7時からは朗読会が入っているので、できるかぎり僕もお祝いに行きたいとは思うけれど、
    途中でお暇を請わなければならないかもしれません。たとえ相手が学生でも、「約束は守られるべし」。急の予定キャンセルは、
    日ごろ僕が申し上げていることと矛盾するので、両老師には大変申し訳ないですが、もしかするとお祝いの「気持ち」を他の老師の皆様に
    託させていただくことになるやもしれません。その節は、J老師、L老師、どうかお許しください。
     
    さらに、夜10時を過ぎて、ある4年生から電話がかかってきた。
    「明日、僕たちのクラスの卒業パーティをやりますから、6時に来てください」
    残念ながら、さっきの両老師へのお祝いだって、優先順位は2番目です。前日に急に言われても、そう簡単に「はい」とは
    答えることはできない。くどいようだけど、僕が今学期学生に一番大切なこととして伝えてきたのは「約束は守られるべし」という原則なのである。
    その原則を、最後の最後で破っては、結局、学生たちに何の餞(はなむけ)を送ることができるだろうか。
    その学生は、
    「わかってます。でも、朗読会は、1年生や2年生のためですから…。僕たちはこれが最後で、次のチャンスがありませんから、こっちを優先して…」
    その気持ちは分かる。僕だって、4年生と最後のパーティに参加したいのだ。彼らの将来のために祈るような気持ちで杯を酌み交わしたい。
    僕がこれまで、ずっとそうしてきたように。もし、それができなかったら、僕はこの上なくつらい気持ちになるだろう。電話をかけてきてくれたその学生も、
    「先生が来て下さらないと、みんな残念がります」と言ってくれた。とてもありがたい言葉である。
    でも、それならば、前もってきちんと予定を立て、少なくとも1週間前の朗読会のときに「来週は、4年生の卒業パーティがあるので、次回の日程を
    変更させてください」と僕が言えるように連絡してくれるべきであったと思う。
    結局、それは4年生クラスの都合だけを考えた割り込みのお招きであって、僕が先日の記念撮影のときに言ったことを、
    残念ながらまったく理解してくれていなかったということになるのだ。それは、パーティに参加できないことよりも、僕にはつらいことだ。
     
    朗読会は、僕が発案して、学年、専攻、学校にかかわらず参加を呼びかけたものだから、急に変更した場合、その連絡が行き届かず、明日無駄足を踏む
    学生がでてくるかもしれない。そいう学生を前にして、僕は今後「約束は守られるべし」と、何の顔(かんばせ)あって伝えることができるだろうか?
    だからこそ、僕はたとえ融通のきかない石頭と言われても、原則を貫きたいと思う。
     
     
    「約束は守られるべし」…これは、社会に、そして世界に船出しようとする彼ら卒業生にとって、何より大切なことなのに。
    それが伝えきれていなかったのだとしたら、僕は4年生の心にいったい何を残してやれたのだろうか?
    そう考えると、今日の僕は、少しさびしい。そして少し哀しい。
    29 May

    the longest day for me

    昨日は、読んでくださった方にしてみれば、何ともツッコミようのない、意味不明の思い出話を書いて、ごめん><、でした。
    今日は、もう少し具体的な昔話を。
     
    もし、「これまでの人生の中で最も緊張した体験は?」と聞かれたら、僕は躊躇することなく、ある二つの事柄を挙げることができます。
    その一つが、博士学位論文答弁会でした。ちょうど今、中国では、卒業を間近にして学生の論文の最終審査が行われている頃ですから、
    その気持ちは、少しはわかってもらえるかもしれません。
    僕は、20代半ばにいったん修士課程を出たあと、いろいろな事情が重なって大学を離れました。
    そして、7年後に再び修士課程から研究のやり直しをはじめ、そのまま博士課程に進学しました。博士号請求論文を書き上げたときには、
    僕はもう30代後半になっていました。もう一度スタートラインに立ってから5年の年月が過ぎ去っていました。
    家庭と仕事をもちながら、週に何回か新幹線に乗って大学院に通う日々でした。幸せなことに、良き師に恵まれ、こんな僕でも何とか
    コースの終了地点にたどり着いたわけです。
    その頃、さまざまなストレスに押しつぶされそうになっていた僕は、体調もいま一つで、最終審査つまり答弁会の日は、心拍数も150以上になり、
    冷汗、脂汗も止まらず、ほとんど心身症に近い状態だったのかもしれません。
     
    答弁時間は一人90分。針の蓆(むしろ)の上に座らされたような気持ちで、論文内容について説明をし、それにつづいて延々と鋭い質問が
    いつもはやさしかった先生方から、ビシビシと浴びせられます。僕はときおり眩暈に似た感覚を味わいながら、とにかく何とか答えらしいものを
    ひねり出していました。そうして、ようやく90分が近づいた頃、僕の指導教員であるY老師から、こう告げられたのです。
    「お前さん、今日、このあと時間空いてるか?」
    「は?…はい、空いております。」
    「そうか、実はな、お前さんの次のヤツが、答弁をキャンセルして、時間があいてしまったんだ。じゃ、このまま、もうしばらくお前さんの答弁、
    続けさせてもらうとしよう。」
    「…・。」
     
    結局、僕は大学院博士課程始まって以来、最長の答弁記録となる180分以上に及ぶ地獄の質問攻めにあったのでした><。
    It was the longest day for me.....
    疲れ果て、ぼろ雑巾のようになって帰宅して、お風呂に入り、体重を測ったら、1日で4kgも体重が減っていました。
     
    それに比べれば、今僕がやらせてもらっている答弁審査なんて、「天使の音楽」のようにやさしいものです。
     
    もしダイエット希望の学生がいたら、僕が味わったあの地獄の答弁会を再現して差し上げてもいいかなと思っていますので、
    遠慮なく申し出てくださいね(笑)。
     
    さあ、これから午後の授業に出かけてきます。ではまた。
     
     

    願わくばviva! vivace!!

    唐突なんだけど、そして僕がそういうときには、掛け値なしにホントに「唐突」なんだけど、
    そろそろ中国語の勉強を再開しようと思っています。
     
    実は、武漢に引っ越してくる前までは、5年間かかって、初級の勉強をすませ、
    さらに牛歩…いや、亀か、はたまた蝸牛の歩みよりもゆっくりとではあるけれど、とりあえず中級中国語の勉強に入っていたのでした。
     
    新しい生活に慣れるため、また家教を見つける煩わしさも手伝って、勉強再開に踏み切れず、いっそのこと「全然中国語ができない人」を
    貫こうかとも思っていたのですが、チャレンジのない生活というのは、気持ちを弛緩させてしまうのですね。つまり心がタルんでしまう…。
     
    どうやら、そろそろ限界のようです。これ以上、心の緊張を緩めたままでいると、僕という人間が失速してしまいます。
     
    いつ、どんなときでも、前向きに、成長できる人間であること、ありつづけること、あるいは少なくともそのように努力することが、
    これまで僕を僕たらしめてきた、と信じているので。
     
    先日、寸劇コンテストで、ある組の演じた劇の中に出てきた言葉――
    fortissimo(フォルティッシモ)
    力強く。僕も力強く一歩を踏み出さないと。
     
    週末、時間を見つけて、図書城に教科書を選びに行こうと思っています。何種類かはすでに持っているのだけど、気分一新。
    新しい教科書の真新しいページを開くことで、再スタートを切る自分を励ましたいと思います(笑)。
     
    最初はゆっくりと足慣らしの期間が要るとは思うけど、徐々にペースを上げていきたいと思います。
    andantino(アンダンティーノ)、adagietto(アダージェット)、largo(ラルゴ)、allegro(アレルゴ)…
     
    そして、いつか、大地を駆け抜けるあの夏の風のように。
    願わくば――
     viva! vivace!!
     
     
    28 May

    Halation of memories―色彩のない日々のために

    今から何年前という数え方はしない。とにかく僕が10代の終わりからまだ20代前半だった頃の話をしよう。
     
    僕は、記憶力のある人間ではないので、たとえば大学時代の一つ一つの出来事、あるいは暮らしていた場所について、
    出会った人々について、事細かに覚えてはいない。思い出せないのではなくて、そもそも覚えていないのだ。
    だからといって、そうしたものごとの一切が僕にとって、取るに足らないもの、どうでもいいものであった、ということを
    意味してはいない。
     
    どうやら、僕は、あらゆる思い出を、漠然としたイメージとして、記憶の奥底に沈潜させるタイプのようだ。
    僕が10代の終わりから20代の前半にかけて、なにごとかを思い出そうとすれば、それはのちに副都心と呼ばれるようになる
    新宿の高層ビル街の夜明けの風景であったり、伊豆七島の澄みきった空と浜辺であったりする。
    そこに日常生活の具体的な匂いめいたものは存在しない。音も存在しない。スチール写真のような静謐な風景である。
     
    その頃、僕は鮮やかに生きたいと思っていた。
    自分の信じるもののために、生きたいと思っていた。
     
    そうして振り返ってみると、その時代は、僕にはあまりに眩く煌めいていた日々であった。
    しかし、あまりに強い光は、その眩さの中にすべての色彩をうばいとってしまうのかもしれない。
    いわば「記憶のハレーション halation of memories」が起きる。
    そこには色彩も歓声もなく、ただ、体と心を燃やしつくすような熱があるだけである。
     
    僕は、今も、鮮やかに生きたいと思う。
    自分の信じるもののために、生きたいと思う。
     
    僕の中にまだ、体も心も燃やしつくし、すべての色彩を眩さの中に吸いつくしてしまうような、
    熱があるだろうか。
    光はあるだろうか。
     
    僕の旅も、僕の祭りも、
    まだ終わらない。
     
    これ、昨日の「ウタちか」に触発されて書いた「走り書き」のようなものなので、
    何とも思い入れだけの、意味不明の日記になってしまいました。ごめん、です><
     

    今日のウタちか(再録)+笠地蔵

    今日、夜の授業が終わりに近づいたころ、遠雷が聞こえはじめ、授業後、学生の質問に答えたり、あれこれとおしゃべりをしているうちに、
    雨脚がすっかり強くなってしまっていた。稲光が、雲の垂れこめた夜の空を一瞬青白く光らせていく。
    傘をさしていても、さして役に立たないほどの強い雨だった。道は川のようになり、滑りやすく、何度か転びそうになった。
    自宅までたった5分の距離なのに、家にたどりついたときは、ズボンも靴もびしょぬれになっていた。
    「武漢の夏の夜の風物詩なんだろうか、この雨?やれやれ…。」と独り言をつぶやきばがら、
    鍵を開けて部屋に入ろうとすると、玄関のドアノブに見慣れぬモノがぶら下がっていた。
    「ん?」
    ビニール袋の中に、かわいらしい「绿豆糕」が7つ8つ。
     
    あれ?だれだろう。こんなことしてくれたのは。
    そういえば、今日は2年生の夜の授業は「日本人の新年の迎え方」がテーマだった(何とも季節外れではあったけれど、教科書の
    編成がそうなっているのだからやむを得ない)><。そのため、授業中、ふと、僕の脳裏に、
    貧しい老夫婦が何とか年を越すために、大晦日に笠を売りに街に出かける「笠地蔵」(日本の有名な昔話です)のお話が思い浮かんだが、
    まさか、いくら僕が貧しいからといっても、こんな季節外れの嵐の夜に、わざわざ僕のうちにまで「笠地蔵」がやってきてくれたわけでもあるまいに・・・。
     
    しばらくして、ある学生からメール。彼女が今日の「笠地蔵」さんだったわけです。・・・Oさん、どうもありがとう。
     
    コーヒーと绿豆糕の夜食をとりながら、先日いったん消去した「ウタちか」を採録しておくことにしました。
    またまた、中村雅俊モノで恐縮ですが…。ちょっと切ない歌です。
    ちなみに、壇ふみは作家檀一雄の娘で、かつて僕の憧れの女性でもありました(汗)。はは。
     
     
    【今日のウタちか】
    「俺たちの祭」
    作詞・作曲 小椋佳
    唄 中村雅俊
     
    君の手をとり 心の海に
    白い小舟を 浮かべる
    愛の帆を張り 月のさやかに
    風のそよぎに 漂えば
    いつか二人は 見知らぬ遠い島へ…
    そんなふうな 夢を見る俺を
    笑ってくれ 今
     
    すべて捨て去り
    君を連れて 行きたいよ
    迷いも惑いも 消え果る
    光の地へ 今
     
    遠い島では 別れのない愛が
    あるそうな…
     
     

       

    27 May

    渡辺氏講演に寄せて(補訂版)

    本日午前10時から外国語学院3号楼3408教室において、文学博士でクリスチャン()の渡辺信夫氏による講演が行われた。
    演題は「中日友好新时期的历史与文化思考」。
    (※)よく考えたら、今朝のブログ日記「一粒の麦もし死なずば…」という言葉、実は新約聖書ヨハネ伝第12章24節からの引用です。
    今日の講演内容は全く知らなかったのに…これもまた不思議な「縁」です。
    戦争に参加した体験と、その反省からクリスチャン伝道師としての道を歩んでこられた氏のお話は、語り口こそ穏やかだが、
    平和と不戦を希求する信念に貫かれていて、しかも氏の歴史に対するきわめて誠実な態度は、会場を埋めた教師・学生に深い印象を与えた。
    85歳になられる氏の1時間以上に及ぶ講演に、信仰心のもつ強靭さ、しなやかさを感じました。
     
    氏のお話の中で、最も印象深かったのは、戦時中下士官であった氏の身の回りの世話をしていた当番兵のことでした。
    当時、陸軍にくらべ「進歩的」だった海軍で、クリスチャンであることは、決してほめられたことではなかったにせよ、それを理由に公然と
    迫害を受けることは少なかったのだそうです。氏がクリスチャンであることを秘匿せずにすんだ理由のひとつもそこにあります。
    これに対し、共産主義者である一兵士は、自らの信条が知られただけで、「治安維持法」違反で逮捕、投獄され、拷問を受ける運命にありました。
    それどころか命を奪われる恐れすらあったのです。氏の置かれていた状況とは決定的に違っていました。
    ところで、共産主義・社会主義・自由主義・反戦平和主義などの「思想犯」を取り締まる公安組織=特別高等警察(いわゆる「特高」)は、
    したがって共産主義者だけでなく自由主義者、反戦論者にも恐れられる存在でした。だから、その兵士が氏に対して、
    「クリスチャンであることを明らかにしておられることに敬意を抱いている」と打ち明けた言葉は、額面通りには受け取ることはできないのです。
     
    氏のお話を聞いていて、僕は次のような(記憶がややあいまいですが)あるクリスチャンの告解を思い出しました。
    共産主義者の口がふさがれたとき、私は黙っていた。私には関係がないと思っていたから。
    自由主義者の口がふさがれたときも、私は黙っていた。これも私には関係がないと思っていたから。
    そして最後に私たちの口がふさがれようとした時、もう誰もそれを止めてくれる人はいなくなっていた。
    僕は、氏と同じ意味において、歴史への反省から、人生のある時期に、警鐘としての「木鐸」として生きる決心をしました。
    たとえ少数者であろうと、そういう木鐸が存在し続けるかぎり、日本という国も、決して「捨てたものじゃない」と思うのです。
     
    そして、大切なことは、中日の若い世代が、「国家」という枠や偏見、先入観、思いこみに振り回されることなく、ひとりの人間と人間として
    率直に、冷静に語り合うことだと思っています。それは、とても難しいことだし、時間のかかることだと思うけれども、
    同じ思いを抱いてくれる人が一人でもいれば、僕たちの未来もまた決して「捨てたものじゃない」と思う。
     
    だって、僕たちの未来は、僕たち自身が作らなければならないのだから。

    一粒の麦もし死なずば

    4年生は、卒業論文の補正を終えて完成版を作りあげ、関係書類を整えれば、あとは卒業式を待つのみとなった。
     
    彼らにとっての、この4年間はどのようなものであったのだろう。
    日本語をはじめ、いくつかのささやかな知識を身につけた4年間、
    あるいはかけがえのない「知遇」を得た4年間、であったかもしれない。
     
    さまざまな思い出が彼らの心に刻まれていることだろうと思う。
    喜怒哀楽、春夏秋冬、鮮やかな彩りに縁どられて。
     
    時が過ぎ去り、色あせていく思い出もある。
    まるで天然色のカラー写真が、長い年月の中でセピア色に蝕まれていくように。
     
    その一方で、何気なくすれ違っただけの出来事が、年月とともに、
    心の深い底から静かに浮かび上がるように、ある種の切なさを伴って甦ってくることもあるかもしれない。
     
    僕は4年生とは、わずか1年のつきあいだった。しかし、その時間の長さはおそらく問題ではない。
    僕は、この1年の間に、僕なりに彼らの心の奥深くに一粒の麦のタネを播いてきたつもりである。
     
    一粒の麦もし地に落ちて死なずば…。
     
    10年後か30年後か、あるいはそのもっと先でもよい。
    彼らのうちの誰かが、僕のことをふと思い出してくれる時があるだろうか。
    もし、あるとすれば、それはきっと、僕のまいたささやかな麦の種が芽を出す<時刻(とき)>であり、
    それがやて黄金色の穂を中国の大地に実らせてくれる…。
    それが僕の願いであり、夢である。
     
    今はただ、彼らの心の中にその<時刻>が訪れるのを静かに待ちたい。
     
    26 May

    僕は御用聞きに非ず

    今日も、ちょっとため息混じりの苦言なのです。すみませんが><
     
    朝目が覚めて、昨日買い忘いそびれていたものを思い出し、授業が始まる前に、と武商量販まで出かけた。
    9時半に店を出ようとしたとき、ケイタイが鳴り、4年生の声で「先生、今僕たちの卒業記念写真を撮っています。今すぐ来てください」。
    今すぐ、と言われても、いったん自宅に戻り、10時からの授業の教材をもって出なければならないので、どう急いでも、15分はかかる。
    すると「15分だと間に合わないかもしれません。10分で来られませんか?」と言う。
    物理的に不可能な要請である。もしできたら、夏のオリンピックの金メダル、ひとつ分けてもらいたいぐらいであった。
    「できるだけ、間に合うようにするけど、無理だったら、僕がいなくても構わず撮ってください」と返事をしながら、駆け足になった。
    汗だくになって、撮影場所である図書館前に到着したのは、9時44分。これでも銅メダルくらいの価値はあるタイムである。
    何とか撮影に間に合い、いっしょに記念写真に、汗だくだくの僕も写ることができた。
     
    あの…こういう写真撮影って遅くとも前日には時間、場所は決まっていると思うんです。
    贅沢は言わないから、せめて前日のうちに、百歩譲っても8時前に連絡してくれれば、算段をつけて、それなりの格好もして、
    みっともなく髪振り乱し、息を切らし、汗まみれで写真に写ることもせずにすんだ、と思うんです。
    僕は、近所の八百屋の御用聞きじゃありません。
    「すぐ来い!」
    「ヘイ、毎度ありっ!」
    というわけには、なかなかいかないってこと、わかってもらえますか。
     
    あるいは、写真ぐらいで大げさな、と思われるかもしれません。
    そうだとすれば、そこは学生への「思い入れ」の差なのかもしれません。
    少なくとも、僕にとって、卒業記念写真はすっごく大切です。
    これは卒業生や僕の手元に一生残るものだし、僕たちが人生の一時期を一緒に過ごした証になるものだからです。
    ううううう、この気持ち、誰に伝えればいいんでしょう???
     
    IMG_0936 (2)
     
    でも、ま、とりあえず、何とか間に合って、みんなと一緒の記念写真に居合わせることができて…僕は幸せ(笑)
    どうか、このささやかな幸せ、これからももられるとうれしいな…。
     
    だから!くどいようだけど、苦言のまとめ!
     
    そもそも、諸行事全般において、中国の社会全体、事前連絡・報告というものが不徹底です。
    これにはシステム上の問題もあるのですが、少し周囲に配慮する気持ちがあれば、かなり改善される性質のものでもあります。
    決して、僕は無理無体な要求をしているわけではないと思う、ね、そうでしょう?
     
    今日は、ちょっと怒りモードの日記、でした><。
     
     

    海辺の街のお話(第14回)

     大学での授業は、2種類に分けることができる。つまり、「日本語を教える」授業と「日本語で教える」授業のどちらかだ。僕が受け持つのは主に後者だった。僕はもともと日本語教育を専攻してきたわけでもないし、日本語学もやったことがない。イッツ・オール・グリーク・トゥ・ミー(It's all Greek to me)。 たとえそれが母語だからといって、誰にでも簡単に教えられるほど言語というのはたやすいものではないのだ。むしろ、日本語を教えることは、外国語として日本語を習得した中国人教員の方が、僕なんかよりは遥かに巧みに、まるでカエルの解剖実験のように日本語を切り分けて、学生たちに指導することができた。
     したがって僕が担当するのはたいていが3、4年生以上の専門科目で、「日本文化史」や「現代日本社会論」といった科目か、さもなければ「上級日本語」といった、文法解説よりも、そこで取り上げられている文章の社会的、文化的な背景に力点を置いた科目ばかりだった。それから、もうひとつ。「上級作文」。これは、学生に毎回書かせる作文の添削、語法・表現の誤用分析に相当の時間を必要としたし、「たったひとつの正解」というもののない科目であったから、他の中国人教員にはそうした科目は敬遠されがちだった。ふだんの生活の中で、人とおしゃべりをするのがお世辞にも得意とはいえず、どちらかといえばひとりで本を読んで過ごす方がずっと気楽だった僕としては、会話の授業を担当させられるよりは、作文のほうがありがたかった。だから、カリキュラム作成を担当する同僚から、やや遠慮勝ちに「作文の授業、お願いできますか?」と聞かれた時は、いつもふたつ返事で引き受けた。
     実際、僕は、この作文という授業がとても気に入っていた。学生に提出させた作文課題の書かれたノートを、夜、宿舎の書斎の上に積み重ね、まばゆい蛍光灯の光の下で、1冊1冊ページをめくりながら朱筆を入れていく作業は、僕の心を躍らせた。学生たちが書く文章は、どれも彼らの個性をはっきりと浮き立たせていた。彼らの作文の中から、彼らのちょっとしぐさや表情、微妙な心の動きまで、僕には感じとれるような気がした。いったん読みはじめると時間がたつのも忘れて、ときには東の空が白々と明けはじめるころまで、学生たちの書き綴った文章と向かい合っていることも少なくなかった。
     DSCF1765
     場合によってはページを開いたときに真っ赤になってしまったノートを返される学生も多かった。彼らは、ちらりとそれを見ると、たいていはそのままバッグにしまいこもうとした。そんなとき僕は、笑いながら「赤ペンは、僕から君たちへのラヴレターだと思って読み返してほしい」と言い添えるのを忘れなかった。正直に言って、夜中に彼らの顔をひとりひとり思い浮かべながら、ペンを走らせているときの僕の気分は、100%混じりっ気なく、それと変わらないものだったのだから…。
    25 May

    寸劇コンテスト・所感

    ここ数日間、行事報告ばかりが続いている。
    今日は、うちの学校の日本語学部主催による「寸劇コンテスト」の決勝戦。
    予選23組の中から勝ち抜いた12組が優勝を争った。
    (コンテストの様子は本日付アルバムをご覧ください^^)
     
    予選も含めて総括をしておくと、
    予選・本戦いずれの出場チームも、出来としては大変素晴らしいもので、採点・選考をするのに骨が折れました。
    今回決勝戦に残れなかったチームの中にも、きらりと光る力の持ち主が多かったことを、まずはお伝えしておきたい、と思います。
    特に上級生では「二人の女の子」。脚本も自分たちで考え、幼稚園児、女子高生、適齢期の女性の心理を巧みに
    描き出していて、好感がもてました。今回の予選では、上級生になるほど審査基準を厳しくしたこともあって、
    このチームは次点に泣いたが、どうか自信を持って、これからも日本語表現能力の向上に励んでもらいたいと思います。
    本戦に進んだもうひとつの3年生グループも、ムードの溢れる大人の演技で会場を魅了してくれました。
     
    ところで、僕たちを特に驚かせてくれたのは、1年生チームの頑張りでした。日本語の勉強をはじめて、まだ1年にも満たないのに、
    よくもここまで成長したものだと、ただただ目を見張るばかり…。
    予選審査に参加してくれた院生が「これ、本当に1年ですか?」と舌を巻いていたほどですから、皆さんにもそのレベルの高さは容易に想像できるでしょう。
    積極的に参加してくれた日貿班(経済学院との共同実験班)の学生も非常に優秀で、本戦にまで勝ち残った実力は、まさに本物!でした。
     
    2年生のチームは、どの組もまとまりもよく、忙しいなかでもしっかりと準備を重ね、とても質の高い演技をしてくれました。
    「甲乙つけがたし」って、まさに今日のようなコンテンスとの審査のためにあるような言葉です。
     
    今回は、ホームドラマあり、コメディあり、ロマンスあり、また四川大地震に題材をとったシリアスものもあり、で内容も実に多彩でした。
     
    出演者だけでなく、観に来てくれた学生の皆さんの熱意は、審査にあたった先生方にものり移ってしまったかのようでした。
    得点集計、成績発表を待つ間に、D老師、L老師、H老師、L老師の美声によるカラオケタイムまで登場してしまいました。
     
    今日のコンテスト、教師と学生が心を一つにして大盛況のうちに終わりました。
    これからもまた、いろいろと一緒に楽しく実りある活動を一緒に作り上げていきましょうね。
     
    最後になりましたが、裏方として一生懸命頑張ってくださった学生会のみなさん、本当にご苦労様でした。
    日曜日にもかかわらず、わざわざ観に来てくださったO老師にも、深く感謝!です^^
     
    24 May

    スピーチコンテスト雑感+喝!

    今日は「第3回全国スピーチコンテスト」華中地区予選が、華中科技大学で行われた。
    本学からは3年生のLさんが出場。結果からいうと3等賞でしたが、彼女なりにベストを尽くしてくれました。
    Lさん、お疲れさま、そしておめでとう。この経験はLさんにとって貴重な財産になると思います。
    どうか自信を持ってくださいね。
     IMG_0748 2008年中日青少年友好年シンボルマーク
    さて、こういうスピーチコンテストでは、日本語の発音、アクセント、イントネーションはさることながら、
    話の内容がとても大切であることはいうまでもありません。Lさんも、この点では他の21名の出場者と比べて、
    全く遜色はありませんでした。むしろ、日本人と変わらぬ発音、アクセント、という点では、もっともすぐれて
    いたように思います(ひいきの引き倒しではなく、日本人の耳でそう感じました)。内容も論理の展開が明瞭で
    わかりやすいものでした。
     
    結局、上位者と彼女の成績を分けたのは、アピール度という点です。最優秀賞をとったお二方のうち、
    とりわけW大の学生は、その表情、話し方の一つ一つが聴衆をひきつけ笑いを誘うものでした。
    コミュニケーションのうち、言語に依存する部分は3割で、あとの7割は非言語部分(表情、身振り手振り、間の取り方などなど)
    が担う、とよく言われますが、こういうコンテストでは、まさに、「非言語的スピーチ」・プレゼン力が大切だと
    あらためて実感しました。
    これからの日本語教育には、こうしたプレゼンテーション力の養成にも力を入れていく必要があると思いました。
     IMG_0806
    最後に苦言をひとつ。
    こういう催しにおけるマナーの問題です。
    今回は、出場学生の一部の引率教師の方でした。ご自身が引率してきた学生のスピーチに対するものなのか、どうかはわかりませんが、
    学生のスピーチ内容に文法ないし表現上の誤りがあると、そのつど「○○だって~!」「△△ぅ!?」と小声で言い交わしておられる方が
    いらっしゃいました。ご自身たちは、自分たちだけのヒソヒソ話のつもりかもしれませんが、こういうくぐもった声は、けっこうスピーチの
    妨げになるのです。そもそも、そんなことを学生がスピーチをしているときに口にするなんて失礼以外の何ものでもありません。
    司会の方が「お静かに願います!」と繰り返していたのに、それがご自身たちに対するものでもあったことにお気づきではないようでした。
    学生を指導する以前の問題として、まずはご自身が教師としての自覚をもっていただきたいと思います。
    審査結果に対して「信じられない!おかしいわよ!」については、もはや何をかいわんやです。 ―― 喝!
     
     
    さてさて、明日は、うちの学部では寸劇コンテストの決戦。12組が優勝を競います。
    順位はともかく、楽しく自由に日本語の世界を演じることに意義があります。
    みなさん、がんばってくださいね。
     
    23 May

    武漢式夕立の降り方

    予想通り、昨日にまして忙しい一日となりました。
    とりあえずすべての仕事を終えて、帰宅したのが、22時20分。
     IMG_0722 (2)
    今日も写真をとってる時間などなかった。
    これから深夜のお散歩をする体力も残っていない。
    エネルギーはempty状態に近い。
    それでもブログだけは書き続ける自分。ほめていいのか、あきれるべきか。
    僕の「書きすぎ症候群」…症状はますます重くなってる感じの今日この頃。
     
    窓の外では、虫の鳴き声が聞こえてくる。今日は、さほど蒸し暑くもない。
    というのも、今日の午後、激しい夕立があったので。
    【武漢式夕立の降り方】
    ①俄かに空が掻き曇り、遠くで雷の音がしはじめる
    ②数分~十数分後、突然湿った強い風が吹き抜ける。雷の音が近くなる
    ③バケツの底をひっくり返したような雨と風。そして稲光
    ④数十分後、雨脚が通り抜ける
    院生の柴ちゃん、3年の李さんと昼食を済ませて、教研室に戻ろうとした矢先に、この一連のプロセスがやってきた。
    ちょっとぶらぶら歩きながら写真でもとって気分転換と思っていたのに、あえなく断念。
    柴ちゃんの日傘に入れてもらって、何とか教研室にたどり着くも、体は雨でびっしょり。
    それでもカメラは濡らしたりはしません。うーむ。わが身より、カメラを大切にするようになっては、完全な「写真狂」の
    仲間入りである。腕がそれに伴わないのが情けないけど><
     
    学部卒業論文答弁会の様子、結果については、ここでは端折ることにします。
    18:20答弁会を終えて、南門付近でいつもの牛肉涼麺を掻きこみ、19:00からの朗読会に備える。
    今日は宮沢賢治「よだかの星」「オツベルと象」。参加者は20名。いつもより参加者が10人ほど少ない…。
    しかし緊張感を盛り上げてくれたのが、わが日本語学部同僚のL老師。最後列で僕の下手な(今日は本当にぶっつけ本番。
    下読みの時間がまったくありませんでした)朗読…、がっかりされてなければいいのですが><
     
    そのあと、日曜日の寸劇コンテスト決勝に出るある組が、メンバーと脚本の一部を変更したので、ちょっと内容を見てくれ、
    というので、楽しませてもらう。どの組も劇を楽しみながら最善を尽くしてほしいと思います。
     
    さて、明日は全国スピーチコンテスト華中地区予選。朝7時過ぎに家を出て、8時開演、プログラム終了は20時の予定。
    もっとも、明日はにぎやか応援ご法度とのこと。それもまたよし、でしょう。
    出場の皆さん、どうぞがんばってください。
     
    僕は、明日こそ、思い存分写真とって来ようっと^^。

    Midnight Walker Loneliness

    今日は、本当に久しぶりに慌しく、忙しい1日でした。
    どれくらい忙しかったかというと、この僕がカメラを持ち歩くゆとりがなかったほど、といえば、
    だいたいわかってもらえるでしょうか(笑)。
    部屋に戻ってきたのが夜8時。さすがに眠く、転寝(うたたね)の1時間を貪(むさぼ)ってしまいました。
     
    明日は、午前中、卒論の最終チェックのため、教研室に待機。
    10時には3年生のQ君が、あさってのスピーチコンテストの応援の仕方について相談に来る。日本式の応援を演出したいとのこと。
    これまではD老師の早稲田スタイルでの応援が、他校の応援を圧倒していたけれど、今回はもう少し控えめな、僕の母校の応援スタイル
    でいくことになりそうです(こう見えても、僕もかつては母校Y高校の応援団員でした^^)。
    11時、スピーチコンテスト出場者のLさんの最終チェック。彼女の実力が精一杯発揮できるよう、僕にできるお手伝いは何でもしてあげたい、と思う。
     
    午後2時からは、本年度の卒業論文答弁会。僕のグループは、日本社会・文化・教育コース。彼らが学生時代の総まとめとして、自分で納得のいく
    論文が書けたのなら、それでいいと思う。しかし、実際のところはどうだろうか…。僕の心に忸怩(じくじ)たる思いがないといえば、うそになる。
     
    真夜中、シャワーを浴びようか、と思いながらも、ふと深夜の散歩を思いつく。
    デジカメを抱えて、深夜のキャンパスへ。深い闇に浮かぶ灯りを求めて…。
     IMG_0734 (2)
    I'm a midnight walker...loneliness.
    こんなことしてると、そのうち見回りの公安に職質(職務質問)されるかもしれません…><
    僕も早く世界チャンプにならなくちゃ※ (笑)
    (※意味不明の方は数日前の日本のスポーツニュースをご覧ください。ボクシング関連です。)
     
     
    22 May

    こんな哀しい月

    「全国哀悼の日」の3日間が過ぎました。しかし、あくまでもそれは行政上のことであって、
    僕たちひとりひとりの「哀悼」の思いは消えることはないでしょう。
     
    夜、北京の院生Sさんとメッセンジャーで話をしました。
    先日も、阪神淡路大震災のときのNGO(ボランティア)活動について資料を探しているのだが、ネット上でどう探せばいいのか、と尋ねられました。
    今日は、新潟県中越地震におけるNGO活動について同じような質問をもらいました。聞くところでは、今回の汶川大地震をきっかけに、
    災害時におけるボランティアの役割、NGO・NPO活動に関心を持つようになった、とのこと。いわゆる「防災学」といわれる研究分野である。
    Sさんのように、こうした「市民レベルにおける危機管理」に関心を持つ若い研究者が育ってきたことは、中国の「これから」にとっても
    たいへん喜ばしいことだと思います。僕にできることがあれば、協力は惜しみません。ぜひ、がんばってください。
     
    うちの日語系でも、今日・明日と「寸劇コンテスト」の予選会(オーディション)が行われています。審査させてもらって、学生たちの真剣さに
    心を打たれました。中には、2組ほど、今回の震災を脚本に折り込んで演じたものもあって…。いずれも迫真の演技で、まさに「甲乙つけがたい」出来です。
    本戦目指して、ぜひぜひ、がんばってください。
     
    話は変わって、時計の針が11時を回り、洗濯をし忘れていたことに気づいて、あわててスイッチを入れる。
    洗濯機の振動音は響くので階下の方には申し訳ないけれど、明日も朝からバタバタしそうなので、「ごめんなさい」です><。
    汗っかきの僕としては、洗濯物が次々と山のように増えていく季節がやってきてしまいました。
    そして、そろそろ蚊の襲撃の季節です。
    昨日も電気を消して寝ようと思った瞬間に、蚊の羽音。ベッドからはね起きて、スプレー式殺虫剤を、プシューーーー。
    今日こそは早めにスプレーして蚊を撃退しておこう。
     
    そんなことを考えながら、窓越しに中空を見上げると、オレンジ色の月。なんとなく哀しい色だと思ってしまう。
    傍らのデジカメでたわむれにシャッターを切る。手ぶれ機能つきなので望遠でも、このぐらいには写ります。
     IMG_0710 (2)
        「こんな哀しい月を見て寝る」 
               …ちょっと尾崎放哉のまねをしてみたくなる夜です。
     
     
     
     
     
    21 May

    続・続・哀悼の日に寄せて(完結編)

    今日は授業の中で「続・哀悼の日に寄せて」に沿ったお話をした。
    僕の役割は、中国人学生たちとは違った視点、違ったモノの見方を提示することにある。
    もちろん異論があることは想定の範囲内。
     
    今回の大地震から、いろいろな教訓を引き出さなければならない、という点ではみんなが同意してくれました(おそらく)。
    ただ、今は、とても悲惨な状況にある被災者の心を慰めることに私たちは全力を傾けるべきで、いろいろな問題点を
    今あげつらうことは、かえって被災者の心を一層暗くするので、先生の意見には賛成できません、という声もありました。
     
    その気持ちは僕にもよくわかります。
    僕は基本的に法学的思考の持ち主であるせいかもしれませんが、こういう場合、深い哀しみは哀しみとして胸の底に秘め、
    冷静に、問題を一刻も早く解決することを願ってしまいます。
    もちろん、これはあくまでも、犠牲者の方への、僕なりの哀悼の意の表わし方なのであって、これをほかの人に強要したいわけではありません。
     
    ただ、先ほどの意見の持ち主とは、結局手順の違いがあるにすぎません。
    僕は時機を逃すと、結果的にすべてをうやむやにしてしまいたがる人間がいることを知っています。
    おそらく、その問題に触れてほくない人たちがいるであろうことも。
    それがどういう人であるのかは、あえて言いません。
    僕に異論を出した学生も、そのほかのみんなにもそれがどういう人間であるか、わかっていると思うからです。
     
    そして異論のポイントが「手順の問題」であるのなら、僕はその立場を尊重したいと思います。
    今回の震災の悲惨さ、哀しみを胸の奥にしまいこむ(それは決して忘れ去るということではありません)
    ことができる日が来て、一緒にこの社会をよりよいものにしてゆく努力ができれば、とてもうれしいです。
     
    そして今日の何よりの収穫は、こうしたことを、みんなできちんと考えることができた、ということです。
    いろいろな意見をぶつけ合って、解決への道筋をいっしょに探っていくこと。
    これこそが、真の学問、本来の科学的思考とよばれるものの第一歩なのだ、と僕は考えています。
     
    自分の真剣な意見を述べてくれた学生のみなさん、
    そしてそれに耳を傾け、心の中で自問自答をしてくれたみなさん、
     
    僕はみなさんの中に、この国の「希望」を見出しました。 ありがとう、です。
     

    続・哀悼の日に寄せて

    先日の日記「哀悼の日に寄せて」について、あるコメントをいただきました。
    以下は、それに対するお返事ですが、ここにも一部書きあらためた上で掲載しておきます。
     
    ありがとう、僕の言いたいことをきちんと理解してくれて。
    実は、僕が今恐れているのは、次のようなシナリオです。
     
    今、TVもラジオもネットも汶川大地震に対する弔意報道一色です。娯楽活動も厳しく制限されています。
    僕たちの哀しみをいやがうえでもあおるような状態が続くと人々はどう考えるでしょう?
    哀しみの飽和状態となります。そこへ、今度は「この哀しみを乗り越えて、明るい社会を取り戻そう!」の大合唱が行われたら?
    おそらく月が変われば、「この哀しみを乗り越え、北京オリンピックを成功させよう!」となります。
    そのこと自体、僕も否やはありません。
    しかし、そこには「この哀しみを乗り越え」ではなく「忘れ」へという「すり替え」が行われるのではないか、
    という懸念を僕は抱かずにはいられないのです。
     
    今回の震災はあまりにも悲惨で、思わず目を覆いたくなるような惨状を僕たちは見せつけられています。
    しかし、今後、たとえ救出活動・復旧がどれだけ進んでも、そこから目をそむけてはいけないと思います。
    救出・復旧だけでは、まだ肝心の問題は何一つ解決していないからです。
     
    まず、「手抜き工事」。これは、徹底した究明が必要です。これはオリンピックという祭典とは関わりなく、行われなければなりません。
    決して、中央や地方の政府に任せきりでもいけません。なぜなら、これまで「手抜き工事」について誰もが疑念を持ちつつ
    放置されてきた事柄だからです()。
     ※昨日のネット記事によると、「どうして学校などに多くの倒壊が起きたのか。政府の建物には大きな被害が出なかったのに」という
      記者の質問に、政府側担当者は「倒壊は学校だけではありません」と答えた、とありました。が、これは質問の答えになっていません。
      他の建築物にも倒壊が見られたからといって、だから学校が倒壊したことを問題にするな、というだけの「回答拒絶」でしかありません。
      政府担当官の答えがこのようなものでは、どのような「教訓」が得られるというのだろう…。
      すでに汶川では校舎施行者と行政を相手取って犠牲となった児童の遺族が訴訟を提起した、とのことです。僕は、これは当然だと思いますし、
      それだけでなく、全国の公共施設について  建築基準に適合しているか、設計計画書のとおりの建築が行われたか、
      一斉調査が行われるべきだと思っています。
    今回、僕たちは、被災された方々へほんのわずかでも支援したい、という思いから献血や義捐金活動を行ってきました。
    そうである以上、今度は、その「思い」がきちんと被災者の方々に届けられ、同じ哀しみを繰り返さないためにも、
    僕たち一人一人がきちんと主体的に問題解決のために発言し、行動しなければなりません。それはこの国の「主人公」としての
    皆さんの(残念ながら、ここに僕は含まれません。外国籍であるからです)権利であり、また義務でもあります。
    血税だけでなく、献血(まさに「血」そのもの)や義捐金(自らの生活費の一部を割いての貴重な思いのはずです)を出したみなさんに、
    それが許されないはずはありません。理性的に、冷静に、問題を明らかにする努力こそが求められます。
    もちろん、そんなことはわかりきったことだ、とあなたも思うはずです。
     
    では、それにもかかわらず、「さあ、今度はオリンピック!がんばろう」一色で、震災を意図的に過去に押し流そうとする宣伝が行われたとしたら?
    それは、この国の誇るべき名前(中華人民共和国)から「人民」の文字を泥で塗りつぶす行為だ、ということも当然わかるはずです。
    そのようなシナリオ、懸念が杞憂であることを僕は願ってやみません。
     
    もちろんオリンピックは成功させましょう。今回は、外国からもたくさんの支援を受けました。その「心」に対して、
    哀しみをこらえた感謝の「心」で応えること。それこそが、オリンピックの成功のカギです。決して金メダルの数などではありません。
    金メダルの数よりも、来ていただいた方、観ていただいた方に、どれだけ感謝と連帯の気持ちを伝えられるか、それこそが
    「理性愛国」の真の発露だと僕は思います。
     
    もう一つ。今回のさまざまな「哀しみ」イベントの中で、必要以上の「英雄」称賛シーンがありました。これも、わざわざドラマのように、
    ショーのように報道していることに違和感を抱きます。報道は常に客観的で冷静であるべきです。彼らを「英雄」として讃えるのは、ぼくたちひとりひとりに
    心がある以上、そんなショーまがいのことをして、いちいち涙や拍手を求められなくても、できることなのです。
    報道機関は報道の本義を取り戻してほしいと思います。
     
    最後に、義捐金について。義捐金というのは、僕たちの心の表れです。それを金額別にランキングをつけたり、その前提として、そもそも金額を
    公表する必要なんてないことです。金額を公表することで競争をあおるようなやり方には、僕はまるで僕たちの心(弔意)を弄ばれてるような
    気がして、大変不快でした。もちろん、お金に対する考え方には国民性もあるでしょう。しかし、今回は世界中から、そうした「善意」が寄せられて
    いるのです。もし、中国人の国民性を理由に、僕のような考え方(皆さんの多くは僕と同じ考え方だとは信じていますが)を退けるのは、
    あまりにも国際感覚を欠いた狭量・自分本位な考え方です。
     
    哀しみの底に多くの人が沈んでいる中(もちろん僕も含めてですが)、少し言いにくい、先走ったことまで書いてしまいました。
    しかし、しっかり考えてみましょう。中国の明日のために。全面的な小康社会への大きな一歩は、実は今回の震災から何を学び、
    僕たちがどう行動するかにかかっています。
    「理性愛国」の真価が今試されているのです。
     
     すでに犠牲者だけで4万人を越え、負傷者は24万人を越えたそうです。 
     行方不明者の数からして、犠牲者は7万に達すると政府は発表しています。
     犠牲者となられた方々に、この場をお借りして、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
     そして行方の分からない方が一人でも多く生存されていることを――「奇跡」を祈ります。
    20 May

    シエスタのあとで 

    今日は午前中、ある院生の修士論文の事前審査書を書きあげたあと、10時からスピーチコンテストに出場するLさんの日本語チェック。
    11時、あまり込まないうちにと南門近くで昼食をとって、教学楼まで戻ってきた。暑い。ここ数日でまた、一皮むけた感じのする日差しである。
    木陰でしばらく休憩していると、午前の授業を終えた学生たちが校舎からぞろぞろと出てくる。日本語学部の学生たちもまじっていて、僕に気づいて
    手を振ってくれる子もいる。
     
    今日はもう昼のお散歩は中止。したがって昼の写真撮影も断念することにした。こんな日差しの中を歩いていたら、ちびくろサンボ()の虎のように、
    バターになって溶けてしまいそう。
    ※「ちびくろサンボ」は現在、人種差別を助長するとかで使用自粛語になってしまい、カルピスの旧ロゴと同じ運命をたどった。もちろん、言われなき
    差別は排除すべきだが、それがときとして行き過ぎ、「言葉狩り」のように感じられるのは、僕だけではないと思う。
    今日の授業は、夜7時からなので、午後は久しぶりにぽっかりと時間が空いた。洗濯をしながら、少しお昼寝(シエスタ)。
    さすがに武漢は、昼寝をしないと、体力が持たない気がする。ここは、やはり「郷にいれば郷に従え」である。
     
    目が覚めたら、午後2時半。いくらなんでもちょっと寝過ぎかな。頭がぼんやりする。
    それに汶川では今も2次災害の恐れの中、必死の救出・復旧活動が続いていると思うと、こんなふうに昼寝をしている自分が恥ずかしくもある。
     
    夕方、少し早めに宿舎を出て、晩ご飯も外食。もうすっかり日も落ちているので、食後、ミルクティー(奶茶)を飲みながら、写真撮影。
    ここ最近のテーマは「夕日」。
    IMG_0654 (2) IMG_0638 (2) 僕の部屋のオリヅルランが花をつけた
    夜7時から2年生の「日語泛读2」。
    明日は午前中授業のあと、昼休みに「寸劇コンテスト」予選会。審査員は僕ひとり、とか。それはちょっと…。
    もちろん依怙贔屓(えこひいき)は一切しないけれど、ひとりだとどうしても個人的な好みや傾向が知らず知らずの間に入り込みやすいので。
    院生に「命令」して、明日の審査に加わるよう伝える。珍しく「強権発動」である。
     
    明日のコンテストには1年生も積極的に参加するようです。自分たちで一生懸命脚本を考えたグループも。
     
    善き哉、善き哉。みんながんばってください。
     

    哀悼の日に寄せて

    5月19日から21日までは、四川大地震で犠牲者となった方々への「哀悼の日」と位置づけられ、
    中国全体が「深い哀しみの中」にある。
     
    この3日間は、すべての娯楽活動が禁止(自粛ではない)され、遵守されているかどうかは、当局によって厳格に
    監督されている。中央電視台CCTVは、弔意を表すため CCTV とロゴを白黒で表示し、キャスターも白と黒が
    基調の喪装に近いスタイルで登場している。本来 CCTV は全部で10数chあるが、それが現在1chに統合され、
    今回の震災に対する追悼報道番組一色となっている。
     
    僕の自宅のある新潟県長岡市も、5年前、「新潟県中越地震」の震源地となり、知人宅にも多くの被害を出した。
    かつての新潟大地震、記憶に新しいところでは阪神・淡路大震災の教訓が活きて、死傷者数こそは多くはなかったが、
    自宅を失い、仮設住宅での生活を余儀なくされた方々は少なくなかった。僕は、中越地震起こったときには、すでに
    中国に単身赴任しており、なかなか連絡がとれない家族、知人を思って、眠れぬ日を過ごした。それゆえ、今回の
    震災は決して他人事では済まされない思いがしている。
     
    哀しみは誰の心の中にもある。
     
    だからこそ、あえてここで一言申し述べておきたい。(冷や水を浴びせるようで、言いづらいのだが…。)
    弔意は強要されるべきものでもないし、その必要もない。娯楽活動は自粛を要請すればそれで十分である。
    事実上の報道規制ともなりかねない「追悼報道番組」一色の状況、まるで、「このように哀しみなさい」といわんばかりの
    報道姿勢にも、僕は多少の引っ掛かりを感じてしまう。このような報道の仕方は、僕たちの心からしなやかさを奪う。
    繰り返す。誰からも強要されるまでもなく、哀しみは僕たちの心の中にある。
     
    今、 
    哀しみを哀しみとして僕たちはしっかりと胸に刻み、打たれてもまた力強く立ち上がらなければならない。
    哀しみはいっときのショーではないのだ。
    僕たちは、この現実を真正面から見据えて、誰もが安心して暮らせる国づくりのために、力を合わせて
    勇気ある一歩を踏み出さなければならない。
     
    それこそが真の追悼の道、だと僕は思う。
     
    19 May

    「追体験」としての黙祷

    本日午後2時28分、キャンパス内でサイレンと車のクラクションが鳴り響く中、
    教学楼の資料室にいた僕も、静かに目を閉じ、3分間の黙祷を行った。
    おそらく中国国内でいっせいに同じ光景が広がっていたはずである。
    13億の沈黙の祈りが被災地に届いたであろうか。
     
    しかし、その黙祷のさなか、僕の心の中に、何とも言えない奇妙な感覚があった。
    というのも、すでに黙祷を済ませた僕らのことが世界に向かって1時間以上も前に発信されていたのだから!
     
    昼休み、自宅に戻ってネットを開いて、僕はある記事(http://www.recordchina.co.jp/group/g19225.html)に目をとめた。
    「5月19日午後2時28分(現地時間=以下同)、全国で3分間の黙祷が行われ、自動車・鉄道・艦船が
    警笛を鳴らし、サイレンが鳴らされた。全国の各機関が、半旗を掲げ、犠牲者を悼んだ。」
     
    配信日時は、2008年5月19日(もちろん今日である)13:06:45とある
    僕は懐中時計を取り出して時間を確認した。中国現地時間で、12:25。日本時間でもまだ13:25になったばかりである。
    記事の「午後2時28分」までは、まだ2時間以上も間があった。
    これはいったいどういうことなのだろう。
    記事を書く時間と配信との間のタイムラグを計算して、まだ起こってもいないことを先走りして書いたものなのか?
      (しかし、「全国で黙祷」という記事は、決して1分1秒を争うという性質の記事ではない。)
    それとも配信元からの原稿を、翻訳し間違えたものなのか?
      (このような初歩的なミスを誰がするのだろうか。)
    いずれにしても、こうした悲惨な災害に対する記事で、あってはならない「ミス」であった。
     
    つまり、僕は、すでに配信された内容が正しかったことを証明するために黙祷させられているような気持ちにさせられたのだ。
     
    僕を失望させたのは、たんにそういう「ミス」の問題だけではない。
    帰宅後、もう一度、ネットで同じ記事を読んだところ、「鳴らされた」→「鳴らされる予定」、「悼んだ」→「悼む」と訂正されていた。
    そして記事の終りに
     ※記事の一部を訂正しました。
    との断り書きが1行。
     
    ただでさえ、先日も被災地でのマスコミ取材について疑惑をもたれるような事件があったばかりである。この会社だって、そんなこと
    知らないはずはないのである。
    こういう誤り記事を載せたときは、署名付きの謝罪をするのが、スジというものではないだろうか。
    「訂正」だけで、ごまかしていい問題ではないという気がします。
    少なくとも、今回の震災に対する同社の姿勢を垣間見せられた、と申し上げるほかありません。
     
    違いますか、編集・翻訳担当の岡田さん?