| Kazunori's profile一石亭写真館PhotosBlogLists | Help |
一石亭写真館中国・武漢の大学で教鞭をとっている一石亭の日々の徒然を切り取った写真日記。本篇「一石亭日乗」(科研プロジェクト版) http://yishiting.blog44.fc2.com もよろしく |
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22 December …僕には、どうしてもできないこと、苦手なこと、嫌いなことが、いくつかある。たとえば、大声を出して誰かを罵ること、口げんかをすること。こういうむき出しの感情を誰に対してであれ示すことは僕にはできない。少なくとも個人対個人の関係でそれをすることが、どうしても僕にはできないのだ。そうでなくとも、誰かをあからさまに揶揄したり、あてこすり、皮肉を言うことも、僕にはできない。エエカッコシイと言われるかもしれないけれど、そんなんことをするくらいなら、「赤ずきんちゃん気をつけて」の由美ちゃんじゃないけれど、僕は舌を噛んで死んでしまいたくなる。何かを勘ぐったものの言いようをするのも、あてこすりと同じで、僕はしたくはないし、できるだけ物事は事実に基づいて客観的に公平に見定めようと心掛けてきた。ところが今日、僕はそんな物言いをしている自分に気がついて、ちょっと愕然としてしまった。「相手のためを思って」という大義名分を掲げて、よく知りもしない第三者のことをあれこれと言い募っている自分は、まさに「下司」そのものだった。問題は、僕の言っていることが的外れかどうかということではない。勘ぐりが結果として正鵠を射ていることだってありうる。ただ、それを「おためごかし」で、相手のためになるといわんばかりの口調で云い募りながら、その実、自分の「欲」が僕の舌を滑らかにさせていたのだ。自分はなんて恥ずかしい人間だろう、と思う。一体いつになったら、僕はもう少しまともな人間に「進化」できるのだろう。眠れない夜を何度繰り返せば、僕は僕の利己心に打ち克つことができるのだろう。眠れぬ夜に、僕は今日も問いかける。浮いては消える芥のように。21 December 冬至 北風 水餃子今、僕の背後では3年生のXJさん、XLさんの二人が、借りてゆくべき本を探しています。
僕は彼女たちの声に生返事をしながら、こうして写真の編集をしているところ。心穏やかな午後。
んー、それにしても。アルバム作成は3週間ぶり。本当にご無沙汰でした。
バタバタと仕事が立て込み、プライベートでも「自己改造計画」(?)に取り組んでいたため、
ここしばらくの間、アルバムの整理をする気持ちのゆとりがまったくなかったのでした。
今日は「冬至」。朝から冷たく強い北風が吹き荒れ、プラタナスの枯れ葉を宙に踊らせている。
お昼ご飯は北方の習慣にならって「山東省煙台」の水餃子6元をテイクアウトしてお腹をあたためた。
今年も残すところあと10日。悔いのない日々を送りたい、と柄にもなく殊勝なことを考える僕なのでありました。
お時間があれば、どうぞアルバム「去りゆく季節に」シリーズ、ご覧ください。 20 December 久々に…ほぼ1カ月ぶりの更新。科研プロジェクト版の方に力を削がれて、こちらは完全な「裏ブログ」となってしまった感がある。
今日は、昨日の無理が祟って、頭痛はするわ、体は重いわ…で、ほとんど1日中だらだらと寝て過ごした。もう無理は利かない歳になってしまったのだ。
それでも午後に飲んだ鎮痛剤が効いてきたのか、夕方には、少しはしゃんとしてきた。18:00、晩ご飯の食材を買いに群光広場まで出かけた。今日初めての外出。
少し霧が出て肌寒い。街の明かりがにじんで見える。これが武漢の冬だ。
キャンパスを出て、大通りの珞喻路を歩くと、クリスマスの喧騒に包まれる。群光広場には巨大な電飾のツリーが飾られていた。
ベーコンに野菜を買って帰り、いつものパスタに仕上げて食べる。
そろそろ20:30。ジョギングウェアに着替えて、走りに出かける時間だ。
僕の中で、いつもの「僕」が戻ってくる。
大丈夫。僕は僕らしく、なんとか自分をコントロールしながら、マイペースで週末を過ごしている。
そうだ、明日は、仕事の合間に、これまで撮った写真を少し整理しておこう。
これからも、この裏ブログ、ちょっとずつ更新していくつもりなので、たまたまここに迷い込んで来られた方、
よかったらまた遊びに来てください。(笑)
10 November 書くこと―何かがそこに始まり、そして終わる 僕はかつて文章を書くのがとても「苦手」だった。 以前は、頭の中にあるイメージを文章にしようとしたとたん、似ても似つかぬものになったり、書きたいと思う「真実」から、どんどんかけ離れてしまったり…。そのたびに僕はペンを放り出したい気持ちになったし、実際それらの多くは机の引出しの奥深くに放り込まれたまま日の目を見ることなく朽ち果てていった。たとえば何か素晴らしいアイデアを思いついてペンを握っても、たいていはほんの1、2行書き進んだところで、僕は先ほどまでのきらめくようなアイデアのいちばん肝心な部分を指の隙間から取り逃がしてしまっていることに気づく。それは、まるで意地悪な魔法使いに、手に触れた宝石がすべて土くれに変わっていく呪いをかけられているような感じでさえあった。そういう苛立ちに似た気持ちは、今も僕の胸の底に淀んでいる。いまだに、文章を書くのは実にしんどい作業だと思う。 それでも、今の僕には、何かを書きたい、何かを伝えたい、という思いの方が、少しだけ強くなったのかもしれない。いつから、何をきっかけに、そんなふうに僕の心境に変化が生じたのかは、自分でもよくわからない。ひょっとするとこれまでに味わってきたもろもろの喜怒哀楽の記憶が心に降り積もって自然とあふれ出してくるようになったのかもしれないし、時間というものが書くことに臆病な僕の背中を押してくれているのかもしれない(要するに、歳を重ねるにつれて図々しくなっただけのことかもしれない、ということ)…。 とにかく書くことから始めよう、すべてはそこに始まり、そこに終わる――そう考えながら、今日も僕はパソコンの画面に向かっている。 01 November 30年後…君と二人よく人から聞かれるものの一つに、二者択一型の問いがあります。たとえば性格判断テストで出てくるような。 ―「あなたはイヌ派、それともネコ派?」 ―「旅に行くなら海、それとも山?」 ―「将来住むとしたら都会、それとも田舎?」 …エトセトラ(1)。 面と向かって突然女の子からそんなことを聞かれたとしたら(男の子からそんな質問をされることは、残念ながら?めったにない)、僕はたいてい「うーん」と唸って(2)、しばらくは答えに窮して(3)しまうに違いない。聞かれた時のシチュエーション(4)やその日の僕の気分ないし体調によって、答えはそのつど(5)異なる、ということも十分にあり得るからだ。 それでも、冷静になって「究極(6)の選択をしろ」と問い詰められでもしたら、僕は「田舎に暮らしたい」と思っている「山好き」の「ネコ型」人間である、とまあおそらくはこんなふうな答え方に落ち着くことになるんだろうな、って気がする(あいまいな表現ですみません)。
実際、僕はどちらかといえばマイペース(7)型の人間で、うまく人と調子を合わせることが苦手だから、やたら(8)と忠実ですぐに人になついて(9)しまう犬より、、「個人主義」的生活が信条のネコたちの方に、かえって気安さを感じてしまう。その方がお互いに気疲れしないですむのではあるまいか、と。山や田舎への志向性は、もう自分の幼少体験が決定的な素因となっている。…つまりすっごい田舎育ちってことです、僕は。
というわけで、今日はふと30年後の自分について想いを馳せて(10)みたわけです。もしかすると中国の小さな村の一軒家でネコを膝に抱いて、日向ぼっこ(11)をしている僕の姿を…。 しかしまあ、それはそれできっと幸せな老後なんだろうな、と僕は思う。それもほとんど確信的に。
【語注】 (written by たまちゃん) 1 エトセトラ:以下に列挙すべき語を省略する場合に用いる。などなど、そのほかいろいろ。 |
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